Wコロンがどうにかこうにか芸事を生業とすることが出来たのが2010年頃。
その前あたりから…本拠地である浅草東洋館以外でのお仕事で、昭和のいる・こいる師匠とご一緒する機会が増えて来ました。
特に地方へご一緒させて頂くのは、芸人という職業を選んだ私にとってこの上ない喜びでして、その気持ちは今も変わることはありません。
この辺は個人差があって…ある芸人さんと話していた時は…「いやぁ、俺はテレビのっスタジオの方がイーなぁ」なんて言ってました、人それぞれですねぇ。
私は足立区在住でして、東北・北陸地方に新幹線で行くときは…余程がなければ上野駅から合流しておりました。
漫才協会の師匠方とご一緒させて頂く時も、この上野駅で一旦集合、みたいな感じになる方が何人か居るのですが、私はその流れが何故だかとても大好きで。
昭和のいる・こいる師匠のご自宅はお二方とも北区。
故に上記のような行先の時は必ず上野駅からの合流という、私と同じ流れでした。
私は地方に出向く時は、個人行動の時以外、よほどの事情がない限り…指定の電車よりかなり早い時間に駅に着くようにしています。
その理由は勿論師匠方より早く行きたい、ということだったり、朝飯で食べる駅弁を購入するためだったり、複数あるのですが、とにかく大体は私が駅のホームに一番乗り、ご一緒させて頂く方々を待ち受ける。
そして昭和のいる・こいる師匠と北の方へご一緒する時、二人揃ってホームに向かって歩いて来られたことが何度かありました。
私はこの、のいる師匠とこいる師匠の2ショットが…お二人とも小柄で何処となく愛くるしくて、お二人で何かしら話しながらこちらに近づいて来るお姿が何とも言えない微笑ましさを湛えていて…毎回とても幸せな気持ちにさせて貰ってました♪
この当時の漫才師としての私の心が、荒んでいたのも手伝っているかもしれません。
以前、荒川区の町屋にあるこいる師匠行きつけのお店でさし吞みをさせて貰ったことを紹介しましたが…その時、こいる師匠が仰ってたこと。
「そりゃあコンビだしね、色々あるけどね、やっぱのいるさんは僕より先輩だから」
「何処かで〔引かなきゃ〕って気持ちが常にあったからさ」
「それが良かったのかもしれないね」
…そりゃあコンビですもん、色々あってしかるべしです(説得力があるでしょ?)。
しかしながら、そこを乗り越えたからこそ…あの上野駅での朗らかさが培われたんじゃないかと、私は改めて思うのでした。
こいる師匠は先輩・後輩の関係性をとても大切にされる方でした。
いわゆる縦社会を〔面倒臭い〕と思う気持ちも理解出来るし、そこを避けて通りたくなるのも解るんですが…先だってお伝えした通り、やはり諸先輩方とお付き合いすることで学びになることはとても多い。
だから諸先輩方とお付き合いすることはとても大切だと思っています。
そしてお付き合いするにあたり、妙にかしこまるのも違うと思うんですが…だからって根本の部分までタテの関係性を軽視すると、結果人と人とのバランスで絶対に崩れてしまうと思っています。
だから…勿論“お笑い芸人”という職業柄、本番中は別として、他の部分に関して(そこがほぼほぼ全部になりますが)私は絶対にその縦軸を忘れないように常に意識しながらお付き合いをさせて貰っています。
後輩の側がその部分を自分の都合で軽視すると…そこが結果トラブルの元になるのです、けじめは軽んじてはなりません。
そしてそれが師匠や先輩方をお付き合いをする際の“最低限の”たしなみだと思っています。
2023年08月06日