4月16日になりました(^^)
PICTURE:SPECIAL THANKS マルベル堂
父ちゃんが愛するわが子4人に伝えたいことを綴ってます。
今日、4人に伝えたい言葉は…
松下幸之助
“何としても二階に上がりたい。どうしても二階に上がりたい。
この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作り上げる”。
2日連続で父ちゃんが若手芸人だった時代の話をします。
当時、父ちゃんが身を置いていた事務所は…何度も紹介してますが、とにかく小さい事務所で、オーディションの話すらなくて約2年ほどテレビ局すら行くことがない時期があったくらい。
事務所の社長さんがハッキリと「お前らを売り込むつもりはないから」と明言されたり、父ちゃんが組んでいたWコロンというコンビに対して「お前らがテレビに出てるイメージが全く想像できない」と言われた時にはさすがにビックリしましたが(/ω\)
そんな話もありつつね、一方で…芸人が売れる売れないを事務所のせいにするのは違うとずっと思っていたし、他の芸人さんから見たらそりゃあまぁ、当時は本当に色んなことを言われたもんですが…父ちゃん自身は事務所と売れる売れないをすなわちイコールだとするのは違うと思っています(これは批判じゃないので誤解のないように)。
ただ、そうは言っても…当時はとにかく“テレビに出なきゃ”“テレビに出たい”という気持ちが強くて。
そうなると〔自分でテレビに出られるようにするには?〕について考えるようになりました。
ふと浮かんだのが…太田プロさんの話。
太田プロさんは長野でずっと誰かしら芸人さんがレギュラーで出ている番組があるそうで、父ちゃんはいつもその話を聞きながら…〔自分も何とかテレビに出る経験を積みたい〕と考えていました。
それが…自ら一般公募で履歴書を送った足立区の広報番組のレギュラーだったり、はたまた後輩の放送作家・福田哲平にお願いして出させて頂くようになったインターネットTVのあっ!とおどろく放送局の御縁からBS11の生放送のレギュラーMCに紡がれたり…これは全て事務所の力を一切借りることなく、周りの方々のお力添えで手にした番組です。
またそんなWコロンを見て、地上波のお笑い番組のオーディションのお話を違う事務所のマネージャーさんから振って頂くことまでありました…今でも感謝でいっぱいです。。。
誰かのせいにしても自分の身となり力になるものは何一つありませんからね。