5月1日になりました。
昨日、また漫才協会から訃報を知らせるメールが届きました。
ナンセンスの岸野猛師匠がお亡くなりになられました。
86歳だったそうです。
元々は“ナンセンストリオ”のメンバーとしてご活躍された方、私がご一緒するようになったのは既にお亡くなりになられている原田健二師匠とのコンビ・ナンセンスになってからでした。
実は岸野師匠と私には…未だどなたにも話していない話があります。
私が昭和こいる師匠と“昭和のいる・こいる”のネタを復刻させるために企画した『ザイマン演芸会』というイベントがあります。
こいる師匠と私で“のいる・こいる”をやるだけでは会が作れないので…私は“一緒にネタをやってみたい”と思う芸人さんやタレントさん、そしてアスリートの方に声を掛けさせて頂いて、5本の漫才をやる内容にしたのですが…実は第1回の『ザイマン演芸会』で、岸野師匠にお声掛けをさせて頂いたんです。
既にその時点で原田師匠がお亡くなりになられており、岸野師匠はお1人。
私が声を掛けさせて頂いたのは、勿論“コンビ結成”のお願いではなく…岸野師匠と一緒にやりたいネタがあったのです。
それが…“旗揚げゲーム”。
ご存知の方もいらっしゃるかと思うのですが…「赤上げて」「白上げないで」「赤下げない」でお馴染みの“旗揚げゲーム”のネタをやりたかったんです。
この“旗揚げゲーム”をやっていた芸人さんが…岸野師匠がメンバーのお1人だった“ナンセンストリオ”だったのです。
しかしながらコンビとなった“ナンセンス”では、ホームである浅草東洋館での公演において、この“旗揚げゲーム”をやることは(少なくとも私が観た中では)ありませんでした。
そんなナンセンス師匠が…“旗揚げゲーム”のネタを披露しているところを一度だけ観たことがあります。
漫才協会による地方興行で、一度ナンセンス師匠とご一緒させて頂きました。
行先は山形県村山市。
この時は…ほかに青空球児・好児師匠、ぴろきさん、宮田陽・昇さんなんかも居たかな。
上記のラインナップの中で、唯一ナンセンス師匠だけ初めてご一緒する営業だったので…私は〔どんな内容のネタをするんだろ?〕といった感じで深い興味を持って、ナンセンス師匠のネタを袖で勉強させて頂くことにしました。
私は芸人さんの営業を見るのが大好きで…完全に“営業ネタ”と割り切って普段のネタと違うことをやる芸人さん、お客さんをうまくイジってステージ上で絡みながらバンバン広げる芸人さん、逆に(受けようが滑ろうがお構いなしで)普段番組やライブでやるのと変わらずネタをやり切る芸人さん…そこには芸人としての考え方が詰まっていて、私はそれをいつもとても興味深く注視してしまうのです。
果たしてナンセンス師匠はどんなネタを営業でやるのか??
山形県村山市でのナンセンス師匠のステージに…私は強い衝撃を受けたのです。
【続く】