3月11日になりました。
東日本大震災という、大きな地震が発生して11年の月日が経ちました。
2011年3月11日、この時たくみ(長男)は幼稚園の年長さんで、もうすぐ卒園という時期でした。
そしてりくと(次男)は生まれてもうすぐ2か月といった頃。
地震が起こった時、ちょうど父ちゃんは幼稚園のお迎えに行って、たくみと合流したタイミングでした。
たくみの手を引いて幼稚園を出ようとした時、今まで感じたことのないような大きな揺れを感じました。
父ちゃんはたくみと、そしてちょうど隣に居てお母さんのお迎えを待っていたたくみのクラスメイトの2人の手を引き、園庭の真ん中辺りまで行き、3人でしゃがんで揺れが収まるのを待ちました。
園庭に植えられている桜の木の太い幹が地面から根っこを掴まれて揺らされているかのようにゆっさゆさ左右に動いている光景を今でもはっきりと覚えています。
その後、揺れが落ち着いて…たくみを自転車に乗せ、“これはただごとではないかも?”という胸のざわつきを感じながら、家に帰りました。
すると母ちゃんが幾らか青ざめた表情で「急いでりくとを抱えて部屋の外に逃げた」と、揺れた瞬間の話をしてくれました。
そして…テレビを点けました。
その時の映像は、スタジオではない、恐らく“報道センター”と呼ばれる場所から若い男性のアナウンサーの方が、少し上ずった声で、先程起こった大きな地震が…今まで体験した全ての地震とは比較にならない程のとんでもないレベルのものであることを伝えていました。
そして…切り替わった映像は岩手県の宮古市というところの映像。
それはちょうど前年の夏、そして秋の2回、お仕事で行った街で、出て来た映像の場所は…宮古は海沿いの街で、山から抜けると一面に街並みと海の景色が広がる、父ちゃんがバスの中から見た記憶と同じ場所でした。
前年の夏に観たその宮古の景色は夏空の青と海の青のコントラストを強調するような強い日差し、とてもとても明るい景色でした。
ところが、3月11日の同じ宮古の景色は…全体的に薄暗く、しかもその薄暗い宮古の街を一気に飲み込むようなどす黒い海水…それが津波だと理解するにはあまりにも規模が大き過ぎて、現実に起こっていることだと受け留められませんでした。
そして前の年に見た、あの明るい宮古の街が、まるで特撮映画の如く一瞬で飲み込まれて行く様に、父ちゃんは「あぁぁぁぁ」と呻くことしか出来ませんでした。
ついさっきまで普通に生活していた街が、人々が、その全てが一瞬にして飲み込まれようとしていたのです。。。