2月28日になりました(^^)
順番を考えず、父ちゃんが思い付く時、思い付いたことを気ままに書き綴ってますF(^^;
取り留めない感じですが、毎日綴っていることは父ちゃんが失敗を重ねながら確実に実になったことばかり。
このブログを目にしてくれるのが果たして父ちゃんが元気なうちなのか、父ちゃんが病気になった時なのか、はたまた死んじゃったあとなのかは分かりませんが…君たち4人の将来に役に立つことを願ってやみません。
何故なら君たち4人は父ちゃんの宝物やからね。
前に“熱中できることを見つけよう”という話を書きました。
それは間違いないことなんやけど、今日はそこにちょっと補足をしたいと思う。
それは…“熱中できることは1つじゃない”ということ。
父ちゃんの話を例に挙げたいと思う。
父ちゃんは学生時代から本当にお笑いが大好きで、観るのも好きだし、自分が何か言って皆が笑うのも楽しくて…“お笑いを仕事にしたい”と思い、住んでた兵庫県の神戸というところから、“お笑い芸人になることを志し”東京に出て来ました。
出て来たのは1994年、それからずっとお笑いの稼ぎだけでは生活出来ず、いや、それどころかお笑いの仕事がなく、生活するためのお金をアルバイトで稼ぎながら生活して来ました。
ラジオのお仕事を定期的に貰えるようになったりして、少しずつお笑いの収入が増えて来たのが2004年頃から。
ここまで10年、父ちゃんはアルバイトの収入が全てと言って良いくらいの収入しか手にすることはありませんでした。
そしてBSのレギュラーのお仕事を頂いたり、当時人気だったフジテレビのお笑いの番組『爆笑レッドカーペット』に出られるようになるのが2008年頃。
まだアルバイトは辞められませんでしたが、ようやくお笑いの収入が増えだし、アルバイトの回数を減らすことが出来るようになりました。
ここまでの間、一緒にお笑いライブとかに出てた芸人さんが次々有名になって行きました。
ダンディ坂野さん、はなわ君、アンガールズ、スピードワゴン、ドランクドラゴン、サンドウィッチマン、ナイツ、U字工事…まだまだ挙げたらキリがないですが、そんな下人さんの活躍する姿をテレビで観ながら、〔次こそは俺が!〕と頑張って来た訳です。
お笑いに自信がなくなることはしょっちゅうでしたが、やっぱりお笑いは父ちゃんにとってたった1つ熱中出来ることで、だから結局辞めずに続けて来れたんだと思います。
そしてようやく芸人のお仕事で生活出来るようになったのが2010年。
これちょっと今日だけじゃ収まらないので明日続きを書かせて貰うねf(^^;