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内村航平選手が人として…、
愛される理由がわかる引退記者会見…。
★★★
『今日のレフくん』
「内村航平選手の考え方が素敵だにゃん。」
★(1年前…)2021年1月14日の夢叶は、『コロナに負けない飲食店は!?焼肉店だった!』でした。
吾輩はスポーツが大好きだ。
大好きなスポーツ選手。
尊敬するスポーツ選手がたくさんいる。
その中でも
TOPレベルで大好き!尊敬している選手の1人が!
体操の内村航平選手。
昨日、内村航平選手が引退記者会見を行った。
『史上最も偉大な男子体操選手』
『”キング・コウヘイ”と呼ばれるレジェンド』
海外メディアも現役引退の内村航平選手の功績を称え惜しんだ。
今後は、体操界発展のため後輩の指導にあたる。
一番、印象に残った言葉…。
「後輩たちに。そうですね、なんだろう。体操だけうまくても駄目だよっていうことは伝えたいですね。やはり人間性が伴っていないと競技、僕が若いときは競技だけ強ければいいと思ってやってきたんですけど、やっぱり結果を残していく中で、人間性が伴ってないと誰からも尊敬されないし、発言に重みがないというか。僕はもうちっちゃいときからずっと父親に、体操選手である前に1人の人間としてちゃんとしてないと駄目だっていうのを言われ続けて育てられたので、その意味がようやく分かったというか、大谷翔平くんもそうですし、羽生結弦くんも、やっぱり人間としての考え方が素晴らしいなって思うからこそ国民の方々から支持されて、結果も伴っていますし。そういうアスリートがやっぱり本物なのかなって僕は思っているので、そういう高い人間性を持った1人の人間に、体操選手としてあってほしいというふうに僕は思いますね。」
流石…、世界中が称賛した“キング・コウヘイ”である。
素晴らしすぎる。
★『史上最も偉大な体操選手・内村航平さんの引退会見を文字で残す夢叶なのだ!?』
とても素晴らしい引退会見。
1人でも多くのひとに読んで欲しい…。
『栄光の奇跡』(ゆず)に音楽に乗って登場した内村航平選手…。
引退記者会見がはじまった。
内村航平:
皆さん、本日は私の引退会見にお集まりいただきありがとうございます。そして、新年明けましておめでとうございます。特に引退会見ということで特別な感情はそこまでなくて、ただただ、ああ、引退するんだなみたいな感じで、あんまり実感は今のところないです。思い返すと3歳から好きで体操始めて、1月3日で33歳になって、体操歴も30年になって、30年中16年間、ナショナル強化選手として活動させていただきました。人生の半分以上を日の丸を背負ってやってこれたっていうのは誇りでありますし、今後、自分が何をやっていくにしても自信を持っていろんなことを発言していけるんじゃないかなと思ってます。
こうして今日、引退会見ということで、いつ決めたかとかっていうのは、オリンピックが終わって、次の世界選手権、北九州の世界選手権に向かう道中、練習をしていく中で、ちょっとしんど過ぎたといいますか、このままだとちょっと先が見えないなっていうのを感じて、世界選手権の前には、もうこれが最後かなという感じで世界選手権に挑みました。だから、本当に最後の最後は決勝に進んで、着地を止めて終わりたいという気持ちで演技をして、それをやり切れたので、結果は伴いませんでしたけど、下の世代の選手たちにもこれが体操だ、本物の着地だっていうところを、僕らしいところを最後見せられたと思うので、そこは良かったかなと思っています。
なんか最初に5~6分しゃべってくださいみたいなこと言われてるんですけど、僕としては質問されて答えるほうが得意なので、実際に今、何をしゃべっていいか、あんま分かってないんですけど、映像欲しいっすね。
今日、引退会見をやってますけど、本来の引退は3月12日なんです。というのも3月12日に最後の舞台というのを東京体育館でやりたいと思ってて、そこで最後、この全身痛い体にむちを打って、6種目やろうかなと思っています。どういう形でやるかは今後、しっかり打ち合わせをして、ほかの選手もちょっと呼びたいななんて思っているので、そういった中で自分の最後をしっかり見ていただいて、最後にしようかなと思っています。
なので、最後に6種目をやるということで、東京オリンピックの代表になるより苦しいことをやらなきゃいけないのかと、今、ちょっと憂鬱になってますけど、そこまではしっかりやり切りたいなというふうに思っています。こんぐらいで大丈夫ですかね。じゃあ、あとは質問で答えていきますので、よろしくお願いします。
司会:
内村選手、ありがとうございました。どうぞご着席ください。それではここから、本日ご来場のメディアの方よりご質問をお受けしたいと思います。まずは代表質問からお受けいたします。係の者がマイクをお持ちいたしますので、まずテレビ朝日さま、お願いいたします。
テレビ朝日:
内村さん、本当に素晴らしく長い競技人生、お疲れさまでした。まずは今のお話をされている最中、すごく笑顔が多かったように思いましたが、私自身、競技人生を振り返ったときにすごくすっきりした気分で引退会見を迎えることができたんですが、内村さんの今の実際の気分っていうのはどのようなものでしょうか。
内村航平:
実際、あんまりよく分かってないです。あんまり辞めたいとは思ってないというか、やれるならいつまででもやりたいと思っていたので。でもやっぱり世界選手権に向かうまでで、ちょっと今後はもう、本気で選手としてやっていくのは厳しいなっていうふうに感じたので引退という決断をしたんですけど、僕の中ではそこまで重くも、そしてすっきりも捉えていないというか。たぶん、まだ3月までやるというのがあるので、今こういう心境なのかもしれないですけど、世界選手権に向かうまでは結構、ああ、これが最後なのかなみたいな気持ちではありましたね。本当に実際よく分かっていないというのが本当に今一番の心境です。
テレビ朝日:
ありがとうございます。そしてあらためて30年の体操人生を振り返って、どんな競技人生でしたか。
内村航平:
実績だけ見ると、結果はかなり残せたかなとは思うんですけど、実際今振り返ると、まだまだやれたな、あのときああしておけばよかったなっていうのもすごく思うので、本当に自分の競技人生に満足ができているかっていうと、そうではないかなと思いますね。まだまだあのとき、もっとやれただろっていうのがすごく思います。
テレビ朝日:
ありがとうございます。そして今一番感謝を伝えたい方はどなたでしょうか。
内村航平:今は、いろんな人がいますけど、その中でってなるとやっぱりコーチの佐藤ですかね。
テレビ朝日:
どういう思いを伝えたいですか。
内村航平:
いや、もうこの5年間一緒にマン・ツー・マンでやってきて、かなり迷惑も掛けたし、本当は最後、オリンピックで金メダルを掛けてあげたいなっていう気持ちはあったんですけど、それができなくてちょっと残念だったなっていう気持ちもあるし。ただ2人で体操を研究してきたという、一緒に練習してきた、コーチと選手っていう関係ではなく、同じ立場というか、本当に研究する立場っていう感じでやってこれたし、もう本当にこの場で、少しの時間で語り尽くせないぐらい濃い時間を共に過ごしてきたので、今ここに立っているのも彼のおかげかなと、本当に素直に心から思っているので、本当にそう感じています。
テレビ朝日:
ありがとうございます。ご自身の体操の中で、最もこだわってきたもの、そして誇れるものはなんでしょうか。
内村航平:
着地です。これまで散々、個人総合で優勝してきた場面でも、やっぱり鉄棒の着地、全種目ですね、そこはこだわって、世界チャンピオンとして、オリンピックチャンピオンとして、着地を止めるっていうのは当たり前のことだと思ってやってきたので、現役選手として最後の舞台になった世界選手権の最後も、どういう演技でもいいんで、着地は絶対に止めてやろうっていう気持ちでやれたので、そこは自分がこだわりを持ってやってきたのと。本当に最後の意地を見せられたっていう思いがあるので。
もちろん美しく見せるとか、ほかの選手と同じ技でも、違うような動きみたいに見せたりっていうのももちろんあるんですけど、やっぱり着地を止めているっていう印象を皆さんもお持ちだと思うし、僕自身もそこを本当に追い求めてやってきたので、そこかなと思います。
テレビ朝日:
ありがとうございます。そして、これまでの体操人生の中で最も熱く盛り上がった瞬間、いつの演技になりますでしょうか。そしてその理由も教えてください。
内村航平:
2つあります。2011年、東京でやった世界選手権の個人総合決勝、全6種目と、リオオリンピックの個人総合の鉄棒ですね。それは今でも感覚とか、見た視界とかが記憶に残ってて。2011年の世界選手権はもう今まで感じたことないぐらいのゾーンを感じて。朝起きる2~3分前、もうすぐ目覚めるなみたいなときがあるじゃないですか。それぐらいから、もう今日は何をやってもうまくいくっていう感覚で目覚めて、試合が終わるまで全て自分の思いどおりにいったっていう感覚があって。あれはもう一生出せないっていうのをそこで、これはもう一生出ないなっていうのを感じたし、ここまで自分の思いどおりにいくことは、もうないかなっていうぐらいすごい日でした。
あとリオオリンピックの鉄棒に関しては、あれだけの点差を逆転できたっていうのもそうなんですけど、やっぱりオリンピックの体操の歴史にも残せる激闘をオレグ選手と、あのオリンピックの会場を2人で支配できたっていう雰囲気を感じれたのが、すごく今でも記憶に残っているので、その2つは絶対にもう今後味わえないだろうなっていうのを、そこで感じていましたね。
テレビ朝日:
ありがとうございます。そして3月12日の引退試合をご自身でやろうと思った理由を教えていただけますでしょうか。
内村航平:
もともとは2年前の3月に、自分の名前の試合をやろうとして、コロナでできなくなってしまって、で、それをまたやりたいと思ってたんですけど、そんな中で、僕ももう、現役最後になるので、試合としてはちょっと難しいっていう判断をしたので、じゃあそこで今まで体操選手が引退するときに、引退試合というか、そういう最後の舞台をやった選手はいなかったので、そういう場を自分でつくってやるっていう。
なんかこれを引退していく選手たちにはスタンダードみたいな、目標にもしてもらいたいっていうのがあったので、なかなかみんなできることじゃないと思いますけど、これだけ結果を残して、体操をやっていけたら、こういうこともできるんだよっていうのをみんなにも伝えたかったっていうのと、やっぱり僕自身はもう、オールラウンダーっていうのでずっとやってきたので、やっぱり本当に最後の最後、6種目をやって終わりたいっていう気持ちがあったので、そうしたいなと思って、やろうかなと思いました。
テレビ朝日:
引退を決意したあとに、また練習で追い込んで6種目やるっていうのは、相当つらいことだと思うんですけれども、そこにあえて、その6種目に、最後の最後にこだわったっていう思いっていうのはどんなものなんでしょうか。
内村航平:
やっぱり、やりたくても、やっぱり6種目でもう代表が目指せないから鉄棒で目指しただけであって、僕としてはやっぱり、どんな状態でも6種目は絶対やっていきたい、やりたいっていう気持ちがあったので、だから、今回の東京オリンピックを目指すまでの過程が、今まで皆さんが見てきてない部分なだけであって、僕は常に6種目はやりたいと思ったし、練習もやっていたので、やることは普通だと思っているんですよ。もちろん、きついことも分かってるんですけど、やっぱり体操は6種目やってこそっていう気持ちもあるし、やっぱり後輩たちもそこはずっと受け継いでいってほしいところでもあるので。あと、心底好きだからっていうところがあるので、なんか最後鉄棒だけやって終わるっていうのも、なんか自分としては自分が自分じゃないような感じがするので、やっぱり6種目やってこそっていう思いが強いですね。
テレビ朝日:
ありがとうございます。そして、今後の活動については、どのようなビジョン、思い描いていらっしゃいますか。
内村航平:
今後は、そうですね。これといって、なんかこれを絶対やっていきたいみたいな1つのことというのはなくて、日本代表の選手たち、後輩たちに、自分が今まで経験してきたことを伝えていったり、小さい子供たちに、体操って楽しいんだよっていう普及活動をしたり、体操に関わる全てのことをやっていけたらいいかなっていう。僕自身も完全に、体を動かすことはストップしないと思うので、やれるときに少し体を動かして、自分が動いて見せてやるっていうのも1つあると思うので。体操に関わる全てのこと、いろんなことをチャレンジしていきたいっていう気持ちですね。
テレビ朝日:
ありがとうございます。そして、30年連れ添ってきた体操競技への思いはいかがでしょうか。そして、その体操競技に対してどんな言葉を掛けたいですか。
内村航平:
そうですね。ありがとうとか、そんな軽い言葉じゃ本当、感謝を伝えられないというか。やっぱり常に、僕体操しか知らないので、本当に3歳からやってて。だから、これだけ体操というもので内村航平がつくられて、人間性もそうだし、競技も結果としてすごく残せたし。だから、その感謝している気持ちを返していかなきゃいけないのかなっていう思いがすごく強いので。だから、体操っていうことに対して世界で一番僕が知っている状態に今後したいなって思っているので。ずっと勉強し続けたいですね、体操のことについては。究めるとかそういう次元よりももっと上のところまでいきたいと思ってます。
テレビ朝日:
ありがとうございます。代表質問以上です。
司会:
ありがとうございます。それでは続いて、会場の皆さまからご質問を頂戴したいと思います。ご質問がございましたら挙手にてお教えください。係の者がマイクにてお持ちいたしますので、よろしくお願いいたします。それではどなたかご質問ございますでしょうか。じゃあ、一番後ろの、今、手上げてる。
時事通信:
お疲れさまです。時事通信、長谷部といいます。先ほどのお話の中で、世界選手権が始まる前にしんどいなということを感じたとおっしゃってましたが、具体的に、体のやっぱりけがの部分が大きかったのか、それに伴って心の部分もあったのか、その辺の具体的な真意とかもしあったら教えていただければと思います。
内村航平:
実際、体の痛みというよりかは、日本代表選手として世界一の練習が積めなくなったっていうことに対しての自分の中で諦めじゃないですけど、もうきついな、もう世界一の練習は、やるのは難しいなって思ったので、そうなると引退かなっていうのを思っただけで、体が痛いことももちろん、世界一の練習ができないっていう部分につながると思うんですけど、それよりかはやっぱりたぶん、モチベーションとかそういうメンタル的な部分で、世界一の練習が、気持ちでその状態まで持っていくことが難しくなったっていうところのほうが大きいですね。
あと練習していく中で、やっぱりこの体操の演技は10個の技をつなげて、最後の着地までやる練習をするんですけど、その練習をやろうとしても、以前だと何回も何回も気持ちも保てたし、どんなにしんどい日でもやり切ることができてたんですけど、やっぱり世界選手権に向かうまでが、やっぱりオリンピックの予選落ちとかっていうのもあって、かなり気持ちで上げていくことが非常に難しかったっていうのを、今、思い返すと、すごくそうだったなと思います。
司会:
ありがとうございます。ほかにご質問ございますでしょうか。女性の方。ごめんなさい、男性の。
NHK:
今日はありがとうございます。これまで体操人生お疲れさまでした。NHKの田谷と申します。2つお伺いしたいと思うんですれども、1つは内村選手の競技人生において、オリンピックというのは切っても切り離せないものだと思います。数々のメダルを獲得して、また、最後には悔しい思いをしたかもしれません。オリンピックを一言で言うと、内村選手にとってどういうものでしょうか。
いうのが1つと、もう1つ、2016年に東京大会を目指すと決めてからは非常に思うように、例えばけがをしたりだとか、体の痛みでなかなか思うような体操ができない時期、苦しい時期とかがあったと思います。とはいえ、いろんなことを思ったり考えたりとか、今まで考えなかったことをすごく考えたりとか貴重な時間もあったのかなというふうに思います。その2016年からのこの5年、6年というのは内村さんにとってどんな時間だったでしょうか。お願いします。
内村航平:
僕にとってのオリンピックとは、やっぱり自分を証明できる場所だったかなと思いますね。世界選手権がオリンピックイヤー以外で毎年あって、その中で世界チャンピオンになり続けて、果たして自分は本物のチャンピオンなのかっていうのを疑い続けて、オリンピックでしっかり証明するということを2回もできたので、そう考えると自分を証明する舞台だったのかなと思います。
リオオリンピック以降のここまでっていうのは本当に、今まで練習が思うようにいかないっていうことがなかったのが急に思うようにいかなくなって、痛いところも気持ちでカバーできてたところがカバーできなくなり、練習でどうにか痛めないような体をつくり上げていくところからやったりと、本当に練習をいろいろ工夫して。で、プロになって、普及のことなど、体操の価値を上げたいということなど、いろんなことを考えてやっていた中で、結果はリオオリンピックまでとは程遠いぐらいの結果でしたけど、その中でも体操を突き詰めていくっていうところを考えると、一番濃い5年間だったかなと思いますね。リオオリンピックまでの自分と今の自分だと、体操に対する知識がかなり増えて、今、世界中のどんな体操選手、コーチよりも自分が一番知っているという自負があって、それだけこの5年間でいろんなことを研究して、知ることができたし。で、やっぱり終わりがないことも知れたので、やっぱり今後もずっと勉強し続けていくことで、知識の幅もかなり、もっともっと広がっていくし、こうして今日引退することで、それをいろんな人に伝えていけるので、そういう意味では通らなければいけない道だったのかなというふうに思っていますね。
やっぱりいいところばっかり知り過ぎてたので、挫折とか落ちたところからの這い上がる力とかっていうのを、もう知れたっていうのは、今後、人に伝えていく立場として知らなければいけなかったことだと思うので、やっぱり栄光も挫折も経験できたっていうのは、自分だけじゃなくて、本当に今後、体操でトップを目指す、オリンピック金メダリストを目指す人たちに伝えていくっていう立場からすると、本当に貴重な経験をさせていただいたっていう気持ちが強いです。
司会:
ありがとうございました。ほかにご質問ございますか。じゃあその隣の赤い腕章を付けた女性ですね。
TBSテレビ:
競技人生お疲れ様でした。TBSテレビ『サンデー・ジャポン』の八木と申します。私も大学まで体操を続けていて、2点ご質問なんですけども、1つは内村選手のお名前が付いている技っていうのが、まだないと認識してるんですけども、まだ未発表で出したくても出せなかった、もしかしたら内村っていう名前が付いていたかもしれないっていう技があったんでしょうかっていうのと。
あと内村選手といえばブラックサンダーが勝負飯と伺っているんですけれども、最近の勝負飯、またはこの会見を成功させるに当たって、今朝食べた勝負飯ってなんでしょうか、教えてください。
内村航平:
今、未発表の技はもちろん何個かあります。やっていたら確実に内村という名前が付いていた技はもちろんあるんですけど、やはりこれまで個人総合でトップを維持するために、その技をやることをやめたといいますか、必要なかったので、やらなかったんですけど。実際2013年にアントワープの世界選手権で白井健三が跳馬でユルチェンコ3回ひねりという技を成功させてシライ/キムヒフンという技名になったんですけど、あの技は2010年の全日本選手権、種目別決勝で、僕は最初にやっているので、健三に取られたという技ですね。
でも実際、あれは本当に難しい技で、あれを僕は個人総合でやっていこうかなと思ったんですけど、あの1回でやっただけで、これは、この技は個人総合でやる上では安定をさせることが難しいと判断したので、やめたんですけど、3年後にそれを軽々飛ぶ坊主が現れたので、本当にこいつはどうなっているんだっていう気持ちで見ていましたね。だからそんなに取られたとか悔しいとかっていう気持ちよりは、こいつは本当にすごいんだなっていうふうに見ていました。
で、今こうして自身の名前の付いた技がない状態で引退を迎えましたけど、逆にそれもありかなというふうに今は思っていて、それだけやっぱり自分が個人総合を誇りに思って、やってこれたからこそっていう証明にもなるかなと思うので。それはそれでいいかなと思います。技名を1つ残すよりもすごいことを僕はやってきたと思っているので、それはそれでそこに誇りを持てているのかなと思います。
で、ブラックサンダーは勝負飯じゃないですよ。お菓子ですからね。飯じゃないっす。で、今日、会見を僕は勝負とは思っていないので、そもそも僕は1食しか食べないし、だから食べてないです、朝。水ですね。勝負水です。勝負水で今日やらせていただいています。
司会:
ありがとうございます。ほかにご質問ございますでしょうか。じゃあその赤い腕章の後ろの、今、紺色の白いマスクの、はい。
TBSテレビ:
TBSの伊藤と申します。TBS、連投で申し訳ありません。2011年の世界選手権の、今まで感じたことがないゾーンと先ほどおっしゃってましたが、今振り返って、なぜそのゾーンが生まれたのか、教えていただけますか。
内村航平:
人生で一番、心技体がそろっていた時期なのかなと思っています。練習量もそうですし、練習の質もものすごく高かったし、メンタルもあのときが一番強かったかなと思うし、痛いところもまったくなかったし、自分は何をやってもできると思っていた時期だったので。でも、やっぱり一番の要因は、世界で一番練習をしていたからだと思っていますね。
あと、自分の演技、体操に対してものすごく自信を持っていたので、失敗する気がしないとか、そういう次元ではなく、この場をどう楽しもうかっていう、もう強さとはかけ離れたというか、自分1人だけが楽しんでいるみたいな状況だったので、それが強かったのかなと思いますね。でも、そのあとも、その翌年にロンドンオリンピックがあって、そこでそのゾーンを再現したいな、なんて思っていましたけど、ゾーンは再現できるものじゃないし、自分から狙ってやれるようなことじゃないんだなっていうのをそこで感じたので、あれを1回経験できただけでも、人間をちょっと超えれたんじゃないかなと僕は思っています。ゾーンの話すると、たぶん3日ぐらい寝ずに話し続けちゃうので、ここでやめておきます。
TBSテレビ:
ありがとうございました。
司会:
ありがとうございます。ほかにご質問、ございますか。じゃあ、青いパンツの女性の方ですね。
毎日新聞:
毎日新聞の円谷と申します。競技生活お疲れさました。ありがとうございました。これまで取材している中で、何度か引退っていう言葉について、そういう引退っていう形を取る必要あるのかな、とか、引退だけが終わり方じゃないんじゃないかっていうお話も何度か伺ったんですけど、今回、この、形としては現役引退っていうものをはっきりさせて発表されるっていうことを決意した、その経緯というか、なぜそこを決められたのかっていうのをちょっと、あらためて伺いたいのと、もしかしたら現役を引退しても体操との関係っていうのが続いていくっていう何か、思い当たるものがあったのかとか、ちょっとそういった部分をあらためて教えてください。
内村航平:
現役引退という定義がなんなのかっていうのを自分なりに考えたときに、やっぱり試合に出ない、競技者じゃなくなるっていうところなのかなっていうふうに思ったので、競技者じゃなくても体操は続けられると思ったので、だったら、競技者じゃなくなったのに、現役引退を表明しないでいるのも、世の中的にもそうですし、自分としてもはっきりしないな、みたいな感じになってしまうのではないかなと思ったので、こうして1回、競技者としては、1回身を引きますというのを発表したほうがいいんじゃないかなと思ってやりました。
だから、競技者ではなく、演技者としてやっていくのもいいんじゃないかなっていうか。今後、進んでいく中で、いろいろなことをやっていくと思うので、果たしてずっと体を動かし続けていくのか、それとも、その中で、やっぱりこういうことが面白いから、こっちにいってみようって思うこともあると思うので、取りあえずは決めずに、体が動くまでは動かし続けたいなっていう気持ちがあるので。でも、もう試合に出ることはちょっと厳しいなと思ったので、こういう決断をしました。
司会:
はい。ありがとうございます。
毎日新聞:
すみません。もう1個だけいいですか。
で、その競技者じゃなくて演技者としてっていう中では、今までずっとおっしゃっていたような、自分の体操の理想の追求とか、そういった部分っていうのは、じゃあその、まだイメージとしては演技者としてこのあとも続いてくようなイメージでしょうか。
内村航平:
そうですね。その3月のイベントといいますか、引退試合、演技会、エキシビションみたいな形になるので、それを、それは終わりでもあるし、始まりでもあると思うので、演技を見せれる場っていうのを今後つくってもいいですし。そうすると気持ちも楽にできるので、現役の選手を呼んで、現役の選手が来てくれるかは分からないですけど、リラックスした状態で見せる演技っていうのも、なんかいつもとはひと味違って、すごみとかが見えるのかなっていうのも思ったりするので。
でも、そういうこともやっていきたいんですけど、僕としては、自分の体が動くまでは、体操を研究したいっていう気持ちが強くて。やっぱり、技術を研究したいっていうのと、やっぱり体操の技のやり方っていうのには答えがないので、答えがない中でも、やっぱり理想のやり方とかがあるので、一番効率のいいやり方を見つけたりなど、ルールもオリンピックごとに新しくなっていくので、そういった中で、流行の技など、こういうことはやっていったほうがいい技とかっていうのを研究したいなっていうのは思っています。
司会:
はい。ありがとうございます。ほかにご質問はございますか。そしたら、一番前の女性の方ですね。
矢内:
フリーライターの矢内と申します。長い間お疲れさまでした。そしてありがとうございます。2つあって、1つは体操界にこれを残せて良かったなと思っていることを教えてください。そしてもう1つは後輩たち、日本の体操界へのこうなっていってもらいたい、提言のようなものもあれば教えていただけますでしょうか。
内村航平:
これを残せて良かったもの。残したものってなんなんでしょうね。結果以外になんかあるのかな。でも結果を残していくことで、その先にある、体操を超えたほかの競技の選手たちにもリスペクトされるような存在になれたっていうのは、非常にうれしかったかなと。でもなんか、別にそれは残したものじゃないんで、なんかちょっと違うな。残したもの。僕が残したもの。
何残したんすか、逆に(笑)。残した、僕が残したものですか。なんでしょうね。でも、新しくプロというものをつくって、その道をつくれたことももちろんそうですね、体操に可能性はまだまだあるということを示せたっていうこと。でも何を残したかっていうと本当に分からないですね。僕、なんか結果を残したけど、ほかに何残したんだろうと思うと、あまりまだぴんときてないというか。のはありますね。あとなんでしたっけ。
矢内:
提言というか。
内村:
後輩たちに。そうですね、なんだろう。体操だけうまくても駄目だよっていうことは伝えたいですね。やはり人間性が伴っていないと競技、僕が若いときは競技だけ強ければいいと思ってやってきたんですけど、やっぱり結果を残していく中で、人間性が伴ってないと誰からも尊敬されないし、発言に重みがないというか。僕はもうちっちゃいときからずっと父親に、体操選手である前に1人の人間としてちゃんとしてないと駄目だっていうのを言われ続けて育てられたので、その意味がようやく分かったというか、大谷翔平くんもそうですし、羽生結弦くんも、やっぱり人間としての考え方が素晴らしいなって思うからこそ国民の方々から支持されて、結果も伴っていますし。そういうアスリートがやっぱり本物なのかなって僕は思っているので、そういう高い人間性を持った1人の人間に、体操選手としてあってほしいというふうに僕は思いますね。
結果を残すのももちろん当然だと思っているので。もちろんいろいろあります、体操に関しては。美しさとか、着地の大切さとか。6種目やってこそ体操だっていうのとか。僕が散々示してきたことをそのまま受け継いでいってほしいっていうのはあるんですけど、やっぱり結果を残してきた身としては、人間性というところに重きを置いてやってほしいなっていうことを伝えたいですね。
司会:ありがとうございます。ほかにご質問ございますか。その後ろの男性の。すぐ近く、はい。
共同通信:
共同通信の藤原と申します。内村選手は以前、Twitterで体操に800ある技のうち500はできるというようなツイートをされていましたけれども、その今まで覚えてきた技の中で、最も自分の礎を築いた技であったり、印象に残っている、今、一番思いが残っている技がありましたら教えていただけますでしょうか。
内村航平:
僕がそこまで技を習得できたのも、やはり技を覚える楽しさを知っているからだと思うんですよ。一番、技を覚えたことでうれしかった、楽しかったっていう記憶があるのが、蹴上がりという技で、たぶん小学校1年生か、ちょっと入る前かだったんですけど、これ知っている人は知っていると思うんですけど、いろんなメディアでもしゃべっているので、あのときの記憶が今でも覚えてて、僕、クラブでもそんなにすぐできるほうじゃなかったので、すごい技を覚えるの遅かったんで、蹴上がりを覚えたときの感動は、今でも本当に忘れられないというか。もうあれがあるからこそ500技ぐらい覚えられた原動力になっているのかなと思うので、それは自分の礎になっているかなと。
その中でも印象に残っている技というのはあと2つあって、リシャオペンと、ブレットシュナイダーですね。やはりリシャオペンは、今まで自分が習得してきた技の中で一番難しかったし、一番動画を見る回数も多かったし、考えたし、実際、できても本当にこれが合ってるのかなって思いながらずっとやってたし、その後も改良を重ねましたけど、やっぱりいまだに難しいと思いますね。
ブレットシュナイダーに関してもまさに同じで、本当に試行錯誤を重ねてあの領域までいけたので、でも試合じゃ1回も落ちていないっていうのが、この間なんかで見たんですけど、やっぱり1つの技に対してそこまで追い求められるからこそ、質とか成功率も高いんだろうなっていうのは自分でも思っているので、そういうところは下の世代の選手たちにも追い求めていってほしいというか。答えはないから、追い求め続けることが大事なんだよっていうのは言いたいですね。あと今後も技は増やしていく予定なんで、随時更新してこうかなと思っています。
司会:
ありがとうございます。お時間の都合上、続いてのご質問を最後とさせていただきます。最後のご質問ある方、いらっしゃいますでしょうか。ごめんなさい、もう1問。ごめんなさい、もう1問ですね。失礼しました。
共同通信:
すみません、もう1つ、世界選手権前に引退を決断されたときに、葛藤っていうのはあったのか。葛藤があったとするなら、何か自分の中にやり残した、まだやりたいことがあったのか。その辺りはいかがでしょうか。
内村航平:
もし続けるとしてもやっぱり、あと1年とかそういう感じではなく、やっぱり次のオリンピックも目指したいなっていう中で考えてたので、そう考えると、あと3年になるわけじゃないですか。いや、そこまではもう無理だなっていうふうに思ったので、結構すんなりいきましたね。世界選手権に向かうまでは。
オリンピックが終わったあとは、結構、半々だったんですけど。やっぱり向かう中で、オリンピックが終わってから世界選手権までなんで、約2~3カ月、その間だけでもこれだけしんどいのに、あと3年ってなると100%無理だなっていうのを感じたので、結構すんなりもういいやっていうか。もう無理だっていうふうに思いました。
司会:
ありがとうございます。それでは最後のご質問となりますが、いかがでしょうか。じゃあ、その後ろの女性の。そうですね。
朝日小学生新聞:
内村選手、よろしくお願いします。朝日小学生新聞の前田と申します。先ほど子供たちにもいろいろ関わっていきたいということで、多くの子供たちにとって内村選手は憧れの存在でもあります。1つのことをずっと続けてきた内村選手から、あらためて子供たちにメッセージをいただけたらありがたいです。よろしくお願いいたします。
内村航平:
そうですね。なんでもいいと思うんですけど、本当に自分の好きなことっていうのを1つ見つけられると、それが大人になっても続いていくようなことにつながっていったり、その好きなことをやり続けることで、例えば勉強だったり、習い事だったりっていうのに変換できて、あ、こうやって頑張ればいいんだ、こうやってやり続けられればいいんだっていうのを学べるので。
やっぱり、何か好きだと思うことを見つけることが一番、何事においても大事なのかなというふうに僕はこの競技を続けて感じたので、そこを見つけてほしいなっていうのは、子供たちには言いたいですね。
もちろん、体操をやる子供たちが増えてくれたら僕はうれしいんですけど、何せ、いまだに僕は体操をやると楽しいんだよ、ぐらいしか言えないので、体操をやるとこうなって、こうなって、こういうことになるから、やったほうがいいよって自信を持って勧められるように研究してデータを取って、子供たちの前で言えるようになりたいなと思ってます。
司会:
内村さん、ご質問にご回答いただきありがとうございます。お時間の都合上、ほかにも多くご質問したい方、いらっしゃるかと思いますがご了承ください。さて、お話にもありましたけれども、現役最後の舞台として、3月12日、【Kohei Uchimura The Final】の開催が決定しました。こちらについてあらためて内村選手よりお聞かせ願えますでしょうか。
内村航平:
先ほども申しましたとおり、最後に東京体育館で6種目やる予定です。まだ詳細は決まってはないんですけど、ほかにも選手を呼んで、僕と一緒に会場を盛り上げてもらいたい、体操を盛り上げてもらいたいと思っているので、あとはAbemaでも生中継やりますしね。
会場に来れない方も見ていただけると思うので、僕の最後を見てほしいっていう思いよりかは、あらためて体操の素晴らしさっていうのを感じてもらえるような舞台にしたいなとは思ってます。僕の演技というか、としては最後になるんですけど、僕の人生で考えるとそこがスタートでもあるので、次につながるような舞台にしたいなっていうふうに思っています。
司会:
ありがとうございます。じゃあ、こちらのほうで質疑応答は終了させていただきます。さて、ここで突然ではありますけれども、株式会社ジョイカルジャパン取締役会長の中村靖弘が、感謝の気持ちを伝えるために、花束を持って駆け付けました。中村自身も、学生時代体操競技を行っていたことから、長年にわたって体操界を牽引してきた内村選手に強い思い入れがあります。
2017年6月、スポンサー契約。2021年3月17日からは当社の所属選手として、プロ体操選手としての活動をサポートしてまいりました。その後、内村選手にはテレビCMの出演、ジョイカル商品であるNORIDOKIの特命部長にも就任していただきました。よって、ジョイカルのPRに尽力をいただいております。それでは中村会長、よろしくお願いします。内村選手もどうぞ、ステージの前方にお越しください。
中村:
省略。
司会:
ぜひとも皆さまの前に。カメラのほうに向いていただければと思います。中村会長、ありがとうございます。それではこのあとフォトセッションへ移させていただきます。準備がございますので。
内村航平:
言いたいことあるんですけど。
司会:
はい、お願いします。
内村航平:
1個、いいですか。
司会:
はい。 内村:この場をお借りして。
司会:花束大丈夫ですか。いいです、持ちます。
内村航平:
引退の報道が11日に出てから、IOCのバッハ会長、JOCの山下会長、そしてFIGの会長の渡邊守成さん、そして鈴木大地さんと、いろんな方々にねぎらいの言葉を出していただいて、この場をお借りしてお礼を申し上げたいなと思います。ありがとうございました。
何度も読み返してみたいと思いました。
内村航平さん。
今までありがとうございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。
(エムP)
★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。
あなたの誕生日には、
どんな夢叶があったのでしょう…。