1月5日になりました♪
本日も昭和のいる・こいるの昭和こいる師匠との想い出を綴らせて頂きたいと思います(^^)
この写真は…私がWコロン解散後、御縁を頂きまして東京の観光やフードなどの情報をご紹介する“東京ルッチ”というWEBサイトにて、ライターをさせて頂いていた時のもの。
浅草東洋館でご一緒させて頂いている、漫才協会の諸先輩方をご紹介させて頂く記事にて、昭和こいる師匠のご協力を仰いだ時に撮らせて頂いた1枚。
漫才の大看板・昭和のいる・こいるのこいる師匠です、本来であれば気やすく物事を頼めるような方ではないのですが…この時も含め、毎回緊張しながら色んなご相談をさせて頂いたのですが、断られたことは一度もありませんでした。
この時なんてこのサイト用にコメントまで撮らせて頂いたり。
毎回、特に対価を求められることもなく…本当に快くなんでも引き受けて下さいました、今冷静に考えると…とんでもないことだと思います。
ちなみにこのような話で言うと、青空球児・好児師匠も、おぼん・こぼん師匠も、コント山口君と竹田君のお二方も、そして生前の内海桂子師匠も…どなたも同じくです。
私、偉大な先輩方の器の大きさに本当に助けられてます。。。
話を戻しましょう。
そんな昭和こいる師匠に…“これはさすがに”というべき相談事が出来ました。
その相談とは…“昭和こいる師匠と“昭和のいる・こいる”の漫才をやりたい”というもの。
今から3年程前の話です。
こいる師匠はこの頃、相方の昭和のいる師匠が療養中ということで、お一人でステージに立たれてました。
一時期は同じく相方であるひろし師匠が療養中のため、1人でステージに立たれていたあした順子師匠と漫才をされていた時期もあるのですが…基本はお1人。
ある時、こいる師匠と楽屋が一緒だった時、こいる師匠がこんなことを仰いました。
「ずっと漫才やって来たからね、やっぱり漫才やりたいよね」
…その一言を聞いて、私はふと思ったのです。
〔役不足なのは百も承知やけど…私と漫才をやって貰えないだろうか?〕
これは勿論、オフィシャルのコンビではなく、企画としての話です。
ふっと思い付いたはイーですが、さすがに今回ばかりは気楽に頼める話ではありませんでした。
そんな時…漫才協会のある先輩方と飲みに行かせて頂く機会がありました。
そのお二人とは…こぼん師匠と金谷ヒデユキさん。
私は信頼するお二人の先輩方にこの話を相談することにしました。
すると…。