1月4日になりました♪
昭和のいる・こいるの昭和こいる師匠がお亡くなりになりました。
一昨日からこいる師匠との想い出を振り返らせて頂いてます。
昭和こいる師匠から初めてお小言を貰いました、その理由は…“灰皿がいっぱいになっていたのに交換しなかったこと”。
浅草東洋館の出番が終わり、私が漫才教団(現・漫才協会)に入った頃は…よくおぼん・こぼん師匠が色んなその日の出演者に声を掛けられて、行きつけの居酒屋で打ち上げをして下さってました(^^)
漫才協団に入って間もない私は…何の礼儀も弁えない、ただの生意気な若造でした。
縁もたけなわとなった時、こいる師匠が私にこう仰ったのです。
「君さ、目の前の灰皿がいっぱいになってるのに、何で変えようとしないんだ?」
…100%私に非があります。
しかしながら私は…当時でも30過ぎとそれなりの年齢になっているのにも関わらず、「申し訳ありませんでした」と口では謝っていながら…内心〔面倒臭い人だな〕と全く反省していなかったのです。
それだけじゃなく、ラジオで「こいる師匠は礼儀にうるさい」みたいな話までしてしまって…これは若手特有の“虚勢を張る”ヤツ。
大したことないクセにイキッちゃって格好悪い、、、私は何と愚かな男でしょうか?
タイムマシンがあってこの当時に戻れるなら、行って自分にビンタしてやりたい!!
そんなことも露知らずか…ある時、こいる師匠は私を呑みに誘って下さいました。
荒川区の町屋にある、こいる師匠行きつけの小料理屋さん。
普段のこいる師匠はとても物静かな方で、色々昔話を聞かせて下さいました。
最初は緊張していた私も、徐々に心が溶けていく流れで…以前、酒席での“灰皿”についてのご指摘を頂いたことに対して、感謝の気持ちを伝えました。
この頃、ようやく芸事の稼ぎで生活が出来るようになった時期で、このタイミングにして恥ずかしながらようやく、“礼儀”の本来の意味が理解出来るようになりました。
頭を下げとけば良い、ということではなく…本質が分かっていれば自ずとやるべきことが見えてくる筈なのです、それが恥ずかしい話、30の時の私は何も分かっていなかった、ということ。
そしてその当時の私の至らぬ受け留め方に関しても正直に打ち明けました。
するとこいる師匠は「そんなことあったっけ?」と気に留める様子もなく、一笑に付してそれで終わり。
改めて私は…その大らかさに助けられたのでした。。。
思えばこいる師匠と2人で飲みに行かせて頂いたのは、この時と2年前くらいの2度だけ。
青空球児師匠やこぼん師匠も居て、ということでしたら何度もあるのですが…本当に貴重な経験となってしまいました。
2度目の時の話はまた改めて。。。