1月2日になりました♪
2022年になりましたら、このブログで始めたいことがありました。
その所信表明のブログを昨年末に書き上げて、年始は久々にゆっくりしようと思っておりました。
そんな矢先の…まさかの訃報。
東京漫才の大看板、昭和のいる・こいるの昭和こいる師匠が12月30日にお亡くなりになりました。
77歳でした。
私の活動に興味を持って下さる方ならご存知だと思いますが…私はこいる師匠の晩年、私からお声掛けして2人で漫才をやらせて頂いておりました。
自分が企画した演芸会や配信番組、最後にご一緒させて頂いたのは昨年5月に出させて頂いた三遊亭圓雀師匠の落語会のゲストでした。
私が漫才協団(現漫才協会)に入ってまもなく18年、当時では考えられない程の距離感でお付き合いさせて頂くようになりました。
これからもっと、というところで…本当に残念でなりません。
今日からしばらく、私にとってとても大切な存在だった昭和こいる師匠との思い出を色々振り返らせて頂きたいと思います。
先程も紹介した通り…私はWコロン結成と共に漫才協団に入り、浅草東洋館に出入りするようになりました。
当時、若手芸人のライブを中心に活動していた私にとって、“浅草”“演芸”“寄席”という世界は…何だか近くて遠い存在でした。
同じ漫才だけど、似て非なる場所。
多くの若手芸人同様、私の持つイメージは…
“古臭い”
“礼儀に厳しい”
“知らない大御所が沢山居る”
“面倒なことが多い”
“面白くない”
…などなど。
言ってみればネガティブなイメージしかない場所でした。
そしていざ足を踏み入れてみると、そのイメージは…半分正解、半分不正解。
“古臭い”は…正解でしたね。
特に舞台衣装におけるレイドバックっぷりは衝撃でした。
ネタに関しても、正直古さは否めませんでした…ベタ過ぎるというか、スタンダード過ぎるというか。
今ではスタンダードの良さ、大切さは身に染みて分かっているつもりですが…当時は私もいっちょ前に尖がってたんですよね…お恥ずかしい。
そして“面白くない”に関しては完全に不正解。
勿論お笑いは嗜好性で好き嫌いは分かれますが…著名な方々は勿論のこと、世にそれほど名が知られていない先輩方でも…舞台でしっかり沸かせる方は沢山いらっしゃることは…私は東洋館に身を投じるまで知りませんでした。
生で観て衝撃を受けたうちの1組が…昭和のいる・こいる師匠でした。
唯一無二。
ロジックで組み立てるお笑いが主流の中、まさに人柄でお客さんの心を掴む、漫才師の理想形がそこにありました。
「そうかいそうかい」「へーへーほーほー」といった、お客さんが期待する定番フレーズもさることながら、その合間に挟まれた振り落ちのギャグもまた面白くて!
年に1度、浅草公会堂で開催されていた『漫才大会』で昭和のいる・こいる師匠がどっかんどっかん笑いをかっさらう姿、メチャメチャ恰好良かったのを今でも鮮明に覚えています。。。