12月29日になりました♪
漫才コンビ・カンニングの中島忠幸さんは2006年12月20日、35歳の若さでこの世を去ることになりました。
後日、中野坂上にある宝仙寺にて執り行われた告別式には沢山の芸人さんがお見送りに来てました。
私は長井秀和さんと2人で出席したのですが…帰り2人で昼ご飯を食べてる時にぽろっと一言こぼされました。
「人間、ほんといつ死ぬか分からないね」
…長井さんは何処か全てに於いて達観した考えを持っている人で、その一言は実に当たり前のことなんですが…これは自分の身に起こり得ることなんだと、痛感させられました。
その後、竹山さんが“カンニング竹山”としてご活躍を続けてらっしゃることは説明不要かと思います。
そして“カンニング”の名を冠した芸名にすることにより、中島さんの存在はずっと忘れられることなく生き続けているのです。
そしてその年…2006年はもうお一人、奇しくも同じ35歳でこの世を去ることになった芸人さんがいらっしゃいました。
村田渚さんです。
平成からのお笑いファンであれば、“フォークダンスDE成子坂”というコンビで『ボキャブラ天国』を始めとした様々な番組で大活躍された方。
私がお話させて貰えるようになったのは…その後“鼻エンジン”というコンビで活動されていた頃になります。
そもそもは渚さんの鼻エンジン時代の相方だった松丘慎吾さん(坂道コロコロというコンビでも活躍された方です)と仲良くさせて貰ってまして、営業やライブでご一緒させて頂くようになり…松丘さんを通してお話させて頂くようになりました。
とてもシャイな方で、しかしながらお笑いのスイッチが入られた瞬間、楽屋でも色々いじってくれたり、経験談なども語ってくれたりしました。
聞くところによると…亡くなる前日、ラジオの本番中に「頭が痛い」というようなことを何度も仰ってたそうで、松丘さんを始めとした周りの皆さんは直ぐに病院に行くよう勧めたそうです。
しかしながら渚さんはとにかく病院が嫌いな方だったそうで、そのまま…くも膜下出血でお亡くなりになっていたそうです。。。
芸人であれば誰もがその才能に敬服する方でした、しかしながら…死んでしまったら何もかもが終わってしまうのです。
人生なんて実に脆く儚いものなんですね。。。