12月28日になりました♪
カンニング竹山さんが以前組んでいた漫才コンビ“カンニング”さんの話の続きです。
ここまでの流れは…
そして…
ご興味ある方はご覧下さい(^^)
『M-1グランプリ』の予選、カンニングさんと一緒になった時に中島さんが仰った別れ際の一言。
「いやぁ、色々仕事貰えるようになって嬉しいんやけど…身体しんどいわ」
私はこの一言をただただ〔俺も身体しんどくなるくらいに忙しくなりたいなぁ〕としか思いませんでした。
そしてその…約1か月後。
中島さんは体調不良のため休養されることが発表されました。
今まさに“カンニング”さんが完全に売れてしまうかどうかの大事な時期だったように思います。
〔中島さん、悔しいやろなぁ〕
…私はこの時でも、中島さんの体調がそこまで深刻なものだと思っていませんでした。
〔疲れが溜まって調子が崩した感じかな〕と。
そして…中島さんの病状が公表されました。
白血病。
そのニュースを聞いた時、私は一瞬で血の気が引くのを感じました。
まさかです、この時中島さんはまだ33歳。
ご結婚されて、お子さんにも恵まれた直後の話でした。
そこから中島さんは長い療養生活に入られました。
一方の竹山さんは…1人での活動となる訳ですが、コンビでの右肩上がりの状況をそのまま維持するまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの大活躍。
その礎には中島さんが戻って来られるときに絶対に売れてる状態で居たい、という強い信念があったんじゃないかと思います。
ある時…私は中島さんに電話をしました。
誰かから中島さんが一時退院していることを聞いたからです。
すると中島さんは直ぐに電話に出てくれました!
「おーっ!久し振りやなぁ!どうしたん!?」
「どうしたんじゃないですよ!?」
…その声は想像を遥かに上回る快活さで、私もその声を聴いて心が大きく弾みました♪
「今な、近くでアジ釣ってんねん♪」
「噓でしょ!?いーんすか!?」
当時中島さんは千葉県の行徳というところに住まれてました。
何故行徳かというと…中島さんは釣りが好きで、海に近いところに住みたいから。
売れる前から車を持ってて、それも“いつでも釣りに行けるように”という理由から。
その車でテレビ局の駐車場に入ろうとして止められた、みたいなことも話されてました。
「俺の病気治ったら釣り行こうや!でもお前、俺の誘い断るからなぁ」
…私も釣りが大好きで、それを知った中島さんはよく私を釣りに誘ってくれました。
しかしながら、当時の私は…長男が生まれた直後で、とにかく芸事をする傍ら生活費を稼ぐために夜勤のバイトに勤しむ…まさに寝る間を削る生活をしていた時期だったのですで…どうしても時間が作れなかったのです。
しかし!中島さんが元気になられたタイミングで釣りなんて…最高過ぎる!!
「次は何があっても絶対行きます!前に言ってた“いかだ”に乗るヤツ、マジで連れてって下さい!」
「OK分かった!じゃあまたな!」
こうして釣りの約束をして、電話を切りました。
それが…中島さんとの最期の会話となりました。。。