12月27日になりました♪
カンニング竹山さんは現在お一人で活躍されてますが…元々は“カンニング”というコンビで漫才をやられてました。
私は“カンニング”さんとして、ライブでご一緒させて頂いていた時期からの縁となります。
その辺りは…
売れないことでやさぐれた竹山さんが切れまくり、それをいさめる相方の中島さん、という“キレ芸漫才”にシフトしてからじわじわテレビに出る機会も増え、スター街道を走り出した…2004年のこと。
2004年は私がWコロンを組んだ年でもあります。
その『M-1グランプリ』の2回戦、お台場にあるパナソニックセンターという会場で…カンニングさんと一緒になりました。
その頃の『M-1』の出場資格は“コンビ結成10年以内”。
カンニングさんはその時点で既に結成10年を超えていて、“カンニング”としては出られないということで、覆面をかぶり“とんこつなんこつ”というコンビ名で出場、しかしながらいくら覆面を被ってても声や喋ってる内容で誰から観ても“カンニング”だって直ぐに分かるというある種の開き直り!(…だってカンニングさんと芸風一緒なんですもん)。
先に出番を終えたカンニングさんとばったり。
中島さんは…
「おぉっ!お前らも今日やったんや!」
「メチャメチャ受けてましたね!」
「お陰さんでなぁ。でも俺ら結成10年超えてるから行けて3回戦までやろなぁ」
「そうなんすね!でももう売れてますやん!このあとも仕事でしょ?」
「そうやねん、今料理の企画やらせて貰ってんねんけどな…」
こんなやりとり。
ケツカッチン(後にも直ぐに仕事があること)で直ぐに次の現場に行かなければならないのに、ここまで色々喋ってくれる…中島さんはそういう方でした(^^)
そして、さすがに出なきゃという時に中島さんからこぼれた一言が、実はその後の中島さんの運命に大きく関わる言葉だったかもしれないとは、その時は微塵も思いませんでした。
「いやぁ、色々仕事貰えるようになって嬉しいんやけど…身体しんどいわ」