6月22日になりました♪
とにもかくにも、色々な要因が折り重なりまして…結果私は“売れない若手芸人”の道へと戻って参りました。
根津君は前のコンビから漫才協団(現漫才協会)に入っており、私は導かれるように漫才教団(以下漫協)に入り、浅草東洋館に出させて頂くことになりました。
その際、まずは根津君の前のコンビの頃からの師匠である、Wエースの谷エース師匠にご挨拶に伺いました。
Wエース師匠は…“昭和の大漫才師”Wけんじ師匠の弟子にあたるコンビで、私がご挨拶に伺うタイミングの時は…既にボケの丘エース師匠はお亡くなりになり、ツッコミの谷エース師匠も…癌で入院中。
私がご挨拶に行ったのもやはり入院中の時で、そこで根津君の促されるままにご挨拶をさせて頂いたのでした。
新しくコンビを組む際、根津君が拘り、谷師匠にお願いしたのが…屋号である“W”を付けたコンビ名にしたい、ということ。
私も彼のその要望に賛成でした。
何故なら、似非キャラではなく、しっかり地に足付けた偽りのないキャラでやることが大事だと思っておりまして…掘り下げた時に由緒ある“W”が似非ではない何よりの根拠となることは、絶対に良いことだと思ったからです。
今でこそナイツの活躍で漫協や演芸場に対する偏見はなくなりましたが…当時の漫協・演芸場・浅草に対するイメージは…以下の通り。
知らないベテラン芸人がいっぱい居る
礼儀作法にうるさい
出囃子が古い
売れない芸人の成れの果て
時代遅れ
…う~ん、そんな感じでしょうかねぇ。
とにかく“テレビに出る”“有名になる”“人気者になる”といった野心溢れる若手ライブに出ている芸人から見て、(かなり刺激的な言い方になりますが)芸人の墓場、行ったらダメな場所みたいなイメージでした。
ただ、その辺に関しては私は不思議とあまり偏見がなくて…とはいえ私も血気盛んな頃でしたので、〔染まったら終わりや〕みたいな感じで、とにかく“染まらないように、染まらないように”といった感じで変に気の張った状態で浅草に通っていたように思います。
今振り返ると…カッコ悪いですねぇ。。。
さて、谷師匠から“W”を頂くことを了承頂き、コンビ名を考えることになったのですが。。。