4月13日になりました。
また御一方、私の大好きな師匠が天に召されました。
春風こうた師匠が今日4月13日、78歳でお亡くなりになりました。
春風こうた・ふくた師匠。
左が亡くなられたこうた師匠。
歌を交えたネタが十八番で、ネタはとにかく掛け合いが朗らかで初めて観たお客さんが観ても確実に笑える普遍的なスタイル。
そんな中でも“こうた・ふくたの漫才”には…右のふくた師匠がこうた師匠の肩を噛むという、エキセントリックなやりとりがある。
噛まれた瞬間にすっと柔らかく身を翻しながら…鋭く突っ込む。
私はこのくだりの中でどうしたって目が行ってしまうふくた師匠が“肩を噛む”という行為を力ではなく間と芯の通った言葉で突っ込むこうた師匠の柔軟な受け方が大好きでした。
漫才協会の楽屋は…若手楽屋があって、それ以上の中堅~ベテランはそれ以外の楽屋に散らばるのですが…私が今の楽屋を使うようになった際、いつもそのドン突きのところに座っていたのがこうた師匠でした。
こうた師匠は私が楽屋に入るのを確認すると「おぉ、けんちゃん。おはよう。」と、何故か本名の下の名前で私を呼んで下さってました。
いつも私の近況を気に掛けて下さる優しい方で、よく飲みにも誘って頂きました。
U字工事と正月の生放送に出てた時、こうた師匠から電話があり「今テレビ観てたら浅草に居るんだね」「今飲んでるからちょこっとおいでよ」と呑みのお誘い。
共に前半の出番だったので、少し浅草をぷらぷらしようと薫くんと2人で劇場を出た直後だった我々2人は、直ぐ近くの居酒屋さんに居たこうた師匠の席に合流、少しお付き合いしたこともありました(アルコールはさすがに控えましたが)。
お酒が好きで、それがもとで晩年体調を崩されたようでした。
大先輩ですが偉そうに振る舞うところが全くない、何処か親戚のおじちゃんのような距離感の近さを感じさせて下さる方でした。
入院生活が続く中、猛威を奮いだした新型コロナウイルス。
お見舞いに行きたくとも、コロナの感染拡大によりそれすら憚られる状況の中…こうた師匠はお亡くなりになられました。
人との語らいがお好きだったこうた師匠、寂しい思いをされてたんじゃないかなぁ。
ご挨拶に伺えず、申し訳ありませんでした。
「けんちゃん、いいの、いいの、しょうがないんだから」
…そう言って下さるのは間違いなさそうですが。
また舞台で漫才をやる日を夢見て療養されていたと思います。
さぞかし無念だったと思います。
私がこうた師匠の元に伺う日が来た時には、また是非呑みのお供をさせて下さい。
大好きだった“あるぷす”で待ち合わせしましょうね。
こうた師匠、本当にお疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈り致します。