3月11日になりました。
早いもので10年の月日が経ちました。
今日から1週間は…《ぷちビッグダディが辿った芸人の道》はお休みして、東日本大震災についての私なりの体験を綴らせて頂こうと思います。
忘れもしません、2011年3月11日。
この日は金曜日で…当時毎週金曜日に出させて頂いていたテレビ朝日の『スーパーモーニング』の出演が終わり、一旦帰宅。
夕方から改めて、大塚のスタジオにて東北放送のラジオ番組『Wコロンの黄昏ラジオGO!GO!スピーク』の収録がある、というスケジュールでした。
『スーパーモーニング』が終わり、帰宅したのは昼前あたり。
次の仕事までまだ時間があったので、当時まだ幼稚園の年長だった長男のお迎えに行きました。
通常であれば13時45分がお迎えの時間。
そしてそのお迎えの時間は振り幅があって、そのまま幼稚園に残って遊んで帰りたい場合、14時45分まで園庭が開放されているのでした。
その日の私はというと、その園庭の開放の時間を見越して14時45分に合わせて自転車で幼稚園に向かいました。
私は長男を見つけ、2人で幼稚園を出ようとした時に…大きな揺れを感じました。
その揺れは私の人生の中で最も大きい規模の揺れでした。
私はまずは園庭で揺れが治まるのを待つことにして、ちょうど直ぐ傍に居た長男のクラスメイトの男の子の肩も抱き、3人で園庭の中央まで行き、しゃがんで様子を伺っておりました。
ちょうど目の前にあった、太くてしっかりした幹の桜の木が根っこから揺さぶられるようにゆさゆさ動かいているのを見て〔これはもしかしたら色々影響あるかも〕との思いが過ぎりました。
その時私が思った〔色々な影響〕というのは、安全点検で電車が停まったり、停電が起きたり、また私自身で言うなら“夜の仕事が無くなるかも”といったレベル。
実際のところはそんな軽微なレベルで治まる話じゃなかったんですが。。。
随分長く感じました、その揺れは治まり、私は長男を自転車の後ろに乗せて、幼稚園を後にしました。
家の方は無事でした。
次男がまだ1歳2か月と小さかったんですが、住んでいたマンションは随分揺れたそうですが、特に家具が倒れたりといったことはありませんでした。
妻は次男を抱えてベランダに飛び出したそうですが。。。
私はテレビを付けました。
そこで私は初めて、東北地方を震源とした、とんでもない規模の地震が起こったことを知りました。
そして…そこにはたった半年前に訪れた街が、とんでもない状況になっている映像でした。。。