2月26日になりました♪
浅井企画さんでの芸人生活は、私の中でようやく“お笑い芸人としての闘いがスタートした”と感じることが出来る日々でした。
ライブのネタ見せは月に1度、それに合わせて毎月新ネタを作ります。
これは別段“浅井企画だから”とかって訳ではなくて、どの若手芸人も必要最低限こなしていかなくてはならないルーティン。
勿論このペースよりもっと密度の濃い人も居ます、この“月に最低でも1本新ネタを作る”という不文律は…恐らく今も変わらないと思う。
私自身はそこに疑問を感じた時期もあったんですが…結果を出すまでは、このルーティンにあらがうことは基本的には出来ないのです。
ネタ見せは毎回合格をする訳ではなく、勿論つまらなければ落とされてライブには出演出来ません。
当時の私はというと…上位10組が出る『ネオネオダイナマイトショー』ではなく、その下の『ダイナマイト笑学校』の方で合格を貰ってライブに出ているような感じでした。
時には下ネタをやって、こっぴどく怒られたり。
「お前、よく大将の前で下ネタとかやれるな!?」
…ネタ見せ会場である欽こん館のステージから上を見上げると、その梁には萩本欽一さんの写真が貼ってあったのです。
そういう事務所だったんですよねぇ、当時は。
今はどぶろっくが居る事務所ですから、変わるもんですf(^^;
正直そんなレベルでは到底トップ・オブ・トップが集まる芸能界で頭角を現すことは出来ません。
当時、主に漫談をやっていた私は…常に〔何か新しいジャンルのネタを作らなきゃ〕と試行錯誤しておりました。
そんな中、私は当時他には居ないネタのパッケージをやることにしたのです。