2月15日になりました♪
昨日の続きです。
渡辺プロで出会ったふかわりょう君にコンビ結成を持ち掛ける
→他の事務所にチャレンジしようと決めた2人はエキストラの仕事をドタキャン
→直後にふかわ君から「やっぱりピンでやりたい」との話があり、2か月でコンビ解消
…ここまで紹介致しました(^^)
負の感情は全くなく、彼が極めて優秀な芸人さんになることは私レベルでもよく分かっていたつもりなので…〔それもそうだよな〕といった気持ちでした。
さぁ、ここからどうするか?
マジメな私は〔もう渡辺プロには戻れないな〕と思い、別の活動拠点を探すことにしました。
いや、今思えば…戻っても問題なかったと思うのですが、まぁ、その辺りは私、融通が効かないんですよね…現にふかわ君は直ぐに渡辺プロに戻りましたしf(^^;
それにしても…渡辺プロのネタ見せに参加していたたった半年弱の期間ですが、ある2組の先輩芸人さんと話をさせて頂くようになりました。
1組目は…カンニングさん。
カンニングさんは元々コンビで活動されてまして、テレビで活躍中のカンニング竹山さんを突っ込む中島さんという方がいらっしゃいました。
中島さん、この頃私が渡辺プロのネタ見せに参加させて頂いたのを何と覚えて下さってまして、後日カンニングさんがサンミュージック、私が浅井企画に籍があった頃に大川興業さんのライブでご一緒した際、その話をしたら覚えてくれてたのです!
中島さんは…2005年1月、白血病により治療中であることを公表し、活動を休止されました。
そして2006年12月、お亡くなりになられました。
最後に話したのは…多分無くなる3~4か月前、電話をしたら…中島さん、とても元気な声で電話に出てくれました。
「やっと退院出来てな、今釣りしてんねん」
…釣りが好きだった中島さん、当時千葉の行徳に住んでいらっしゃいまして、近所で釣りをされてたんです。
勿論お笑いの仕事が出来ないことに対しては忸怩たる思いはあったと思いますが…しかしながら釣りが出来るまでに体調が戻られてることは、紛うことなき吉報でした。
なのに…せっかく売れたタイミングまで来た中島さん、あまりにも人生は残酷です。
改めて今、何とかお笑いをやれてる私は…とても恵まれているってことをしっかり自覚しなければいけないですね。。。