11月24日になりました♪
まずは父ちゃんが生まれた頃の話をしたいと思います。
1970年10月22日に生まれた父ちゃん。
君たちから言うところの“父ちゃんじぃじ”と“父ちゃんばぁば”(要は父ちゃんの両親うやね)は…兵庫県の神戸市というところに住んでいました。
2人の故郷は同じ兵庫県の淡路島というところでね、父ちゃんばぁばは故郷の淡路島に帰ってから父ちゃんを産んだんだ。
どうだい?
可愛いかい??
父ちゃんにもこんな頃があったんだよ。
赤ちゃんの頃はさすがに記憶に残っていないケド、小さい頃は(父ちゃんから見て)ばぁばに随分可愛がって貰いました。
父ちゃんばぁばのお父さんはプロパンガスのお店をやってました。
プロパンガスと言われてもピンと来ないよね?
普段料理を作るときなんかにコンロで火を点けると思うんやケド、あれはガスを使っているのは知ってるよね?(とくまはまだ分かんないか)。
ウチもそうなんだけど、今は都市ガスといって地面の下に通されたガス管を通じてガスが届られる形式が殆ど。
一方、昔はプロパンガスといって大人の背丈程の“ボンベ”と呼ばれるガスが詰められた容器を家で繋げて使ってた家庭が多かったんだ。
今でも田舎や家の構造上都市ガスが使えない家ではプロパンガスが使われていると思います。
とにかくそんなプロパンガスにガスを詰めて配達する仕事をやっていたらしい。
父ちゃんばぁばも若い頃はよく家の仕事を手伝っていたらしい。
父ちゃんが生まれた頃は、さすがに家の手伝いはやっていなかったケド、若い女の子に家の仕事を手伝わせていた(父ちゃんから見て)じぃじは…とても厳しい人だったように記憶しています。
ばぁばは色々遊び相手になって貰ったり、オモチャとか買って貰ったり。
じぃじとはそういう思い出はなくて…大変だった仕事(プロパンガスの仕事を始めた頃)の話とか、あと戦争に行った話とか。
中国の、確かハルピンだったと思うのですが…終戦の間際に行ってたんやって。
父ちゃんですら戦争は経験したことが無いし、ピンと来ないんですから…まして君たちからしたら戦争なんて全くの絵空事のように思えると思うんやケド、とても大変な時代があったんだよ。
じぃじには怒られた記憶はあまりないんだけど、でもどこか気が抜けないというか、大人の言葉で言ったら“厳格”なイメージの人でした。
神戸に住んでいた父ちゃんは、いつも父ちゃんばぁばに連れられて…明石というところの港から船に乗り、淡路島の港に着いてから今度はバスで1時間くらい…今思うと結構な移動時間やったけど、そんな父ちゃんばぁばの家に行くのがとても楽しみでした。。。