11月13日になりました♪
NHKの夕方の人気番組だった『ゆうどきネットワーク』。
私みたいなしがない芸人に《木曽さんちゅうの駅弁が食べた~い!》という、まさかの冠コーナーを持たせて下さった勇気ある番組。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
三陸鉄道の久慈駅から宮古駅の路線を旅するロケの直後の話でした。
大震災直後のロケ。
夜に久慈に入ったんですが…街全体が暗い。
それは建物が倒壊しているので家の灯りが消えている、街の照明も消えているから。
活気がないというレベルを超えた、街が死んでいるような雰囲気。
そしてそれはホテルの中も…当時電力消費を控える"節電"が求められる時期だったこともあり、全体的に薄暗く、少し不気味な雰囲気でした。
夜、ディレクターの純子さんや撮影スタッフとミーティング。
いつも明るく元気で楽しいチームの雰囲気が…何処となく重い。
この当時、"自粛ムード"が日本中に広まっていた時期だったこともあったと思いますが、それ以上に…翌日からのロケがとにかく非常に難しいモノになることを感じずにはいられませんでした。
純子さんからも同様のことを告げられ、そして…意外な忠告がありました。
「極力“頑張って下さい”と声を掛けるのは控えましょう」
被災された方々は、3.11以降ずっと大変な思いを抱えながら復興に向けた準備を進めていた時期でした。
色んな方々から掛けられる“頑張って下さい”の言葉。
この“頑張って下さい”と声を掛けられていることに疲れて来ているから、、、とのことでした。
説明されてようやくその意味が分かりました。
普段から非常に軽いタッチで使ってしまっている“頑張って下さい”の言葉。
一見ただただポジティブに思うこの一言ですが…私もその当時“頑張ってる”に関して、感じることがありました。
当時、私は地上波の人気番組にも沢山出演し、色んな方々にも声を掛けて貰うことが多い時期でした。
仕事でのお付き合いの方、息子の通う幼稚園、ご近所さん、何だったら通りすがりで出会った面識のない視聴者の方々まで。
俗に言う“顔がさしてる”状況なんですが…勿論喜ばしいことである一方、ちょっと違和感を感じる時もありました、それが…「最近頑張ってるね!」の一言。
勿論メチャメチャ“頑張ってる”時期でしたが…それはテレビに出ていた時期よりうんと前からの話。
テレビに出られるようになる前は…芸事をやりつつ、それだけでは賄えないので夜勤のバイトをしながら…常に寝不足と共に生活しているような時期でした。
“頑張ってる”ように感じられるのは、人目に付く機会が多いから。
むしろ人目に付かない時期は“頑張ってる”ことが伝わらないだけだ、ということを。
“頑張ってる”度合いは比較するのが失礼過ぎるレベルなのは百も承知、ただ改めて軽く“頑張って下さい”と声を掛けることの功罪、考えさせられました。
被災された方々が我々が目にしていないところで重ねて来ているご苦労は…決して想像出来るものではないということを。。。
【続く】