11月12日になりました♪
NHKの夕方の人気番組だった『ゆうどきネットワーク』。
私みたいなしがない芸人に《木曽さんちゅうの駅弁が食べた~い!》という、まさかの冠コーナーを持たせて下さった勇気ある番組。
サンドウィッチマン、ハイキングウォーキング、スザンヌといった人気・実力共に折り紙付きのラインナップを前にあらゆる部分で惨敗となった、コンビでの出演となった駅弁特番。
ここまで佐藤純子ディレクターを旗振り役として地道に築いて来たモノを…崩してしまいました。
もう、皆さんにどう顔向けすればイーかも分かりませんでしたし、大好きな駅弁の食レポが出来るコーナーを、天下のNHKの、人気番組で担当出来るという夢のような話は…コーナーが始まって約2年でお開きとなる、私は覚悟を決めました。
特番OA後。
何と再び『ゆうどきネットワーク』でのロケのお話を頂きました。
通常回での再開に向けて、純子さんのご苦労は…純子さんご本人からは全く語られることがありませんでしたが、当然色々あったかと思います。
結局《木曽さんちゅうの駅弁が食べた~い!》は…『ゆうどきネットワーク』が『ゆうどき』と番組名を変え、新番組になるタイミングまで続きました。
思えばこのコーナーが始まったのが2010年の10月。
その年には岩手県久慈市から宮古市に向けて走る三陸鉄道でのロケもありました。
そうです、東日本大震災で甚大な被害があった地域です。
そこでお世話になったのが久慈駅の名物駅弁『うに弁当』を作る女将さん・工藤クニエさん。
この三陸鉄道でのロケが終わって半年も経たないタイミングでの大震災。
震災発生後しばらくして、、、あれは梅雨に入る前くらいのタイミングだったと思います、駅弁ロケで再び久慈~宮古に向かうことになりました。
東京から久慈まで約4時間半、クニエさんと抱き合って無事の再会を喜び合ったのを今でも鮮明に覚えています。
そして三陸鉄道はその駅弁企画の前にもコンビでのロケでお世話になってまして…三陸鉄道の社長さんや社員の皆さんとの再会した時も同じく皆さんの無事を喜び、そして三陸鉄道の皆さんは私の再訪を温かく迎えて下さいました。
震災直後のロケは非常に難しいものとなりました。
純子さんから事前に言われていたことが幾つかあります。
まず、今回のロケは非常に難しい内容になること。
テレビでの映像で被災地の惨状は見ている訳ですが…やはり赴いて目の前で見るとなると比較出来るレベルではないことは明らか。
そしてもう一点、これが…実に意外な内容でした。
【続く】