9月7日になりました♪
さて、今週は…少し前にも書かせて頂きましたが、私が籍を置く漫才協会の名誉会長でした、内海桂子師匠が8月22日に亡くなられたことを偲び、
…以前漫才協会のコラムに寄稿したものをリライトして再掲させて頂きたいと思います。
今改めて見ると…合計5000文字超という中々のボリュームでして、今日から金曜日まで…小分けにして紹介して行こうと思っております。
内海桂子師匠…1922年(大正11年!)9月22日生まれ、享年97歳。
漫才協会名誉会長にして、漫才協会内で、日本で、いやもしかしたら世界最高齢の芸人だったかもしれない方。
本当に凄い。
内海桂子師匠を英語で紹介するなら…living legend、もしくは…monster。
亡くなられる直前(厳密には今年の1月)まで、浅草東洋館のステージに出られてましたし、その持ち時間15分~20分、桂子節全開で喋り続けてらっしゃいました。
もっともここ数年は…桂子師匠の相手役として、漫才協会のベテラン・うたじ師匠や若手の中津川弦くんが一緒にステージにあがっておりましたので、どうにか定刻で終わられてましたが…ほんの数年前まで、何だったらご本人のテンションが上がっちゃってる時は20分過ぎてても収まらず…なんてこともある位、とにかく芸に対する熱量の高さは圧巻でした。。。
何故内海桂子師匠は97歳という年齢になってもバリバリの現役で居られたのか?
私は何度かその理由を知ることが出来ました。
前にも書きましたが…、私木曽さんちゅう、身分不相応を承知で…浅草東洋館の楽屋では内海桂子師匠と同じ楽屋を使わせて貰っていました(そもそも個人の楽屋、という概念がないので、結果大御所と楽屋を共にすることになるのだが)。
とはいえ実際の所、私のような芸人が部屋を同じくすることは許されないのかもしれませんが…何となく気付いたら同じ部屋になっちゃってた、という感じでもあるんですが
ケドね。
空気読めてないかもしれませんが、僕は結果的に桂子師匠と同じ楽屋を使わせて貰って本当に良かったと思っています。
加えて…(これも前に書きましたが)桂子師匠の出番のある日は、何故か?楽屋の密度が低い。
やはりそこは他ならぬ桂子師匠ですから…他の師匠方も遠慮されてるというか、やはり桂子師匠を立てて楽屋を変える部分も大きいと思われる。
御着替えに関してはいつも済まされた状態で入られるので、その辺りも関係ないですしね。
それにも拘らず。
私は敢えて動かず、同じ楽屋を使わせて貰っていました。
勿論いつも以上に気を遣いますし、喋る内容も考えます。
そう、喋らせて貰ってたのです!
これね、誤解されている方も多いと思うのですが…桂子師匠、実にフランク♪
会話に困った試しが…ない!!
いや、厳密に言うと…話されている内容が理解出来なかったこともありましたが…大御所だからって恐れることなかれ、本当に普通に話して下さってました。
いつも楽屋に入って来るなり「いやぁ、暑いわねぇ」なんて調子で桂子師匠から話し掛けて下さいましたし、何だったら「出番はもう終わったの?」なんてこちらのことを気に掛けて下さることもしばしば。
私みたいな若手の分際が…もしかしたら煙たがられるか、はたまた迷惑がられるか、そんな心配は全て杞憂に終わったのです。
【続く】