『木曽さんちゅうのザイマン演芸会』まで残り1週間。
トリをお願いしております昭和こいる師匠、まだ書きたいことがありまして…追記させて下さい♪
舞台上での“昭和のいる・こいる”のこいる師匠のイメージは“適当”“大雑把”“イー加減”みたいな感じやと思うんですが…普段はとても極め細やかで心遣いに溢れた方なんです。
これも拘りというかこいる師匠を物語る部分やと思うんですが…こいる師匠は人と話す時、その相手の名前を呼んで話すことが多い。
どういうことか?
例えば「実は前にビックリしたことがあったんだけどね…」なんて話をすることが有ると思うんですが、こいる師匠の場合は「木曽君、実はさ、前にビックリしたことが…」と相手の名前を付けて喋り出されることが多いんです。
多分意図的じゃないんですよねぇ、私は素直に〔素敵やなぁ〕と感激致しました。
何が素敵か?
まずは〔あの、こいる師匠が私の名前を覚えてくれている〕という喜び。
やっぱりこいる師匠から見れば私なんてキャリア、年齢共に随分な若輩者な訳です(勿論、こいる師匠はそんな態度は一切取られません)。
しかしながら、そんな私を呼んでくれる、これを身に余る光栄と言わずして何と言おうか!
こいる師匠とお話しさせて頂き「木曽君さ…」と言われる度、いまだにその恵まれた境遇に喜びを感じています。。。
そしてもう一点、これまたこいる師匠のお人柄やと思うんですが、相手の名前を呼ぶことにより“会話に気持ちが籠っている”と感じさせられる所!
やはりただご自身の思うところを話すだけじゃなくて「木曽君…」と名前を呼ぶことで“木曽に話している”というお気持ちが強くなるし、名前を呼ばれた側もより気持ちを込めて話を聞くことになる。
すなわち名前を呼ぶことで“会話に塩が振られ”話がぎゅっと引き締まるよう感じ…変な例えしたら返って解り辛いか、ごめんなさい(>_<)
それは或る時は厳しさへと転化する時もあって。
私が漫才協会に入りたての頃、一度お叱りを頂いたことがある。
諸先輩方と宴席を共にした際の礼儀作法についてだったんですが(内容はまた改めて)、、、今思うとこれ常識中の常識でして。
私自身、如何に(今以上に)至らない人間だったかが良く判る…この時のご指摘が今も生きてます、目上の方と同席する際は常にこのお叱りの言葉を胸に呼び起こしております…感謝ですね。。。
自分の親以外にも自分を律してくれる先輩方が周りに居ることの有り難さ。
核家族化が進み、集合住宅での環境が近隣の人達とのコミュニケーションが希薄になってしまっている昨今。
昔は“カミナリ親父”なんて存在が近所にチョコチョコ居て、怒られたり注意されたりして大きくなる環境があったとよく言われますが…もはや形骸化してしまっているように思います。
先輩に育てられました、私は…その最後の世代かもしれませんね。。。
“名前”って相手を特定出来る、それは相手に唯一無二の気持ちを籠めることになるんです、、、こいる師匠、営業妨害になってしまったらすいません。。。