背番号『25』と言えば、誰を思い出しますか?
吾輩は迷いなく
村田修一選手を思い浮かべます。
・横浜ベイスターズ
・読売ジャイアンツ
そして、
・栃木ゴールデンブレーブス
3球団を渡り歩いても、背中には『25』番が輝いています。
4球団目!
NPBに復帰して背番号『25』の光り輝く姿が見れますように…。
★★★
『今日のレフくん』
「オイラが背負いたい背番号は、ニャン!ニャン!で22番だニャン!!」
★(1年前…)2017年7月8日の夢叶は、『天国で見守るわさびちゃん…。』でした。
西野JAPANが敗退して以降…、
対戦相手だったベルギーを応援してW杯ロシアを楽しむことを決めた。
その想いが通じて、
王者・ブラジルを破ってベスト8入りした赤い悪魔ベルギー。
侍ブルー日本に崖ぷっちまで追い込まれて逆転した経験が赤い悪魔を覚醒させる大きなきっかけになっていた。
同じく、崖プッチまで追い込まれていた読売ジャイアンツ岡本和真選手。
底無しの沼からの脱出。
第89代4番打者として大きな覚醒を遂げることが出来るか?
楽しみです。
★『46打席ぶりのホームラン!背番号「25」岡本和真選手が復活の狼煙をあげる夢叶なのだ!?』
我が巨人軍は永遠に不滅です
ミスター長嶋茂雄が引退時に残して名台詞。
球界の盟主と言われ続けている読売ジャイアンツの4番は、他の球団に比べ遥かに重責と言われている。
オープン戦から公式戦!
順調に安打、本塁打、打点を重ね
ジャイアンツ歴代89番目の4番打者を実力で掴んだ男・岡本和真・22歳。
しかし、
ジャイアンツの4番打者に定着して以来、成績は徐々に下降線を辿る。
気がつけば、最後に放ったヒット=ホームランから32打席ヒットが出ず徐々に背番号『25』が小さく見えるような気がした。
「(不振は)いつか来る、と思っていたけど、打てないときはしんどかった」
6月5日のDeNA戦で、33打席ぶりのヒットを左中間に放ったときの言葉。
この1本から、背中で輝く背番号『25』が日々大きくなっていった。
久しぶりにヒットを打ってから3試合目の広島戦。
11試合46打席ぶりの1発は!珍しく右中間スタンドに飛び込んだ。
「追い込まれていたので、食らいつこうと思っていました。最高の結果になってよかった」
大きなストライドでゆっくりダイヤモンドを1周する背番号『25』の姿は格別だとう言うことに改めて気がつく価値あるホームランだった。
岡本和真選手には、ジャイアンツに入団する前から憧れていた和製大砲がいる。
NPB通算360本一軍レギュラーを獲得するためには乗り越えなければいけない大きな壁の1人村田修一選手(現BC栃木)、
昨季限りでジャイアンツを退団してしまった村田修一選手。
奇しくも、兄貴分村田修一選手が背負っていた背番号『25』を継承し今年のシーズンに臨むことになった岡本和真選手に村田修一選手が厳命したのは【2桁本塁打】
シーズインイン!マスコミの予想に反して着実に本塁打を重ねる岡本和真選手。
ジャイアンツ歴代89番目の4番を自らの実力で勝ち取ったのは、
6月2日のオリックス戦だった。
日本中にジャイアンツファンが見守る4番打者として迎えた初打席。
な!なんと!!
村田修一選手との約束を果たす【2桁本塁打】10号ホームランを放った。
試合後、村田修一選手から兄貴分らしいLINEメッセージが届いた。
「まだまだこれからやぞ。頑張れよ」
昨日放った!泥沼スランプ脱出の15号本塁打。
この岡本和真選手の1発を誰よりも喜んでいるのは、背番号『25』を最も愛していた村田修一選手なのかもしれない。
村田修一選手のNPB復帰期限は、7月末日。
残された日数はあとわずか…。
岡本和真選手と同じグランドで戦う背番号『25』対決が見たい!
そんな想いが頭を過ぎった日。
(エムP)
素敵な音楽をありがとう!
7月8日生誕・
【BEM】(バースディー・イブ・ミュージック)
【BGM-IN】「I for you
★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。
あなたの誕生日には、
どんな夢叶があったのでしょう…。