れらpです。
大型連休も終わり、我が社では、この春入社した新入社員が、そろそろ現場に配属される時期になりました。
彼らは今、新人研修の総仕上げ段階。先日、社食で彼らルーキー集団が一緒のテーブルを囲んでランチを楽しんでいるところを見かけましたが、今のところみんな希望に溢れて目をキラキラ輝かせているようです。
いっぽうで、最近少し気になる光景を見かけました。
先日、東北各県から仙台に担当者が参集して、とある大きな会議が開かれたのですが、そこに出席していた、某県から派遣されてきた某若手担当者が、世にも不幸そうな、生気のない顔つきをしていたのです。
彼女を見たのはその時が初めてですが、そのあまりに暗い顔つきが気になって、一緒に出席していたうちのデスク(彼は去年その県から転勤してきていた)に「彼女はもともとあんな感じなのか」と小声で聞いてみました。すると「どうしたんでしょうね…1年前はもっとはつらつとしていたんですが…」という返事。
彼女は去年入社して今年がキャリア2年目。どうやら一年経って、新人時代のキラキラした雰囲気から、どんよりとした人物に変わってしまったようです…
この時期は、新社会人になった多くのルーキーたちが、ふと我に返っていろいろと思い悩む頃合い。今日のエントリーは、そんな皆さんに読んでいただければ幸いです。
■最近立て続けに発生したルーキーの離職
最近は、転職もずいぶん一般的になってきましたが、まだまだ日本は終身雇用社会。一度会社に入ってしまうと、なかなか転職は敷居が高いものです。
でも、実は僕の勤務している職場、2年立て続けに新人が辞めてしまいました(泣)
一人目は、僕が去年転勤してくる前から既に休職していました。だから、そもそも僕はこの子の顔すら知りません。入社した年の秋には休職に入っていたようです。で、去年の夏頃にそのまま正式に退職。
二人目は、去年の11月末。一週間前に突然グループ内に彼女の退職が伝えられ、あっという間に辞めていきました。直前まで、そんな素振りはまったく見えなかったのですが、どうやら上司とはずいぶん前から話し合っていたらしく、退職手続きもほとんど済ませていたそうです。あまりにも突然のことで、僕を含め現場の人間は相当困惑し、上司に「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」と食って掛かった記憶があります。
2人の離職の、直接の原因はもちろん知りません(知る立場にない)。
ただし、1人目は「心の病気」が治らなかったと人づてに聞きました。
2人目は、退職に際し職場の人間に挨拶ひとつありませんでしたので、あるいは人間関係のもつれであった可能性もある。
いずれにしても、この2人の離職により、我々の現場は「欠員」状態となり、ぶっちゃけ現在もその2名分の欠員は補充されず、残った人間でその分の業務量をカバーし続けている状態が慢性的に続いています。
ちなみに今年、うちの職場には新人が配属されませんでした。2年立て続けに新人が辞めたことが原因かもしれません。
この時点でブラック企業っぽいエピソードですが、お恥ずかしいことに、他の部署では辞めた子がいない。したがって、給与をはじめとした「雇用条件」、すなわち会社そのものが嫌で辞めたのではなさそうだ。
いったいどうしたんでしょう…?
■彼らが辞めた本当の理由が分からない
希望に胸をときめかせて入社したルーキーが辞める原因は実にさまざまだと思います。
①自分の仕事が思い描いていたイメージと違っていた
②予想以上に激務で耐えられなかった
③上司や先輩とソリが合わなかった(人間関係)etc.
まず①の場合
うちの会社、結構世間的には「華やか」と思われるような業種です。でも同時に「キツい」というイメージも世間様は持っている。
ルーキーも、十分にその現実は知っていたことと思います。東京での集合研修でも、相当その辺は脅される。理想と現実のギャップには、ある程度耐性があったはずだ。
あるいは、本来の希望職種と配属が異なっていたからか…?
クリエイティブがやりたかったのに、営業に配属される、という事態は往々にして起こります…(うちは営業ではありませんが)
②の場合
確かに仕事はキツいです。慢性的ではありませんが、タイミングによっては2週間休みが取れない、とか、毎日終電を逃すくらい残業、なんてことも起こり得る。
普通なら1週間かかるような資料を、明日までに作ってこい、なんてことも無きにしも非ず。
以前僕が在籍していた東京の職場では、僕の前任者が二代立て続けに亡くなったと聞かされました。直接の死因は病死ですが、そこは我が社の人間なら誰でも知っている激務セクション。仕事が関係していないとは誰も思っていませんでした。
まぁその点僕はテキトーに逃げるのが得意なので、過労死せずに済みましたが…
でも、仙台は東京より確実に業務量は少ない。ましてや新人を「死ぬまで使う」なんてことはあり得ない。
③の場合
たしかに、僕のグループのシマ長は、なんでも抱えこむ癖があって、そのせいでシモジモに「余計な仕事」が回ってくることも多い。せっかちなので、設定された〆切よりずいぶん前から「アレはどうなった」と聞いてくることも多い。そういう意味では鬱陶しい(笑)。さらに、他部署と若干揉めた時に、結構弱腰で引き下がってくることも多いから、イザという時頼りにならない。そんなフラストレーションが積み重なった可能性はある。でも、その分この上司、人物自体は温厚な方です。
他のメンバーも、基本的には温厚で、職場で声を荒げるような人はいない。
確かに口の悪い先輩もいるが、上司に食って掛かる人はいても、後輩を圧迫するような人はいない。
結局真相は藪の中。どの可能性も、イマイチ決定打に欠ける。
あるいは別に原因があるのか…!?
■一日中辞めたいと考えていた僕の新人時代
そこで、ちょっと自分自身のことを思い出してみました。
新人時代は、それこそ1日中「辞めたい」と思っていたからです笑
理由は「希望部署に配属されなかった」から。僕はもともと「クリエイティブ」がやりたくてこの会社に入ったのに、最初に配属されたのはまさに「営業部門」でした。
当然、希望通りクリエイティブ部門に配属された同期が何人もいました。
入社当時は同期同士の情報交換も活発で、そんな彼らがバリバリ仕事を始めているという噂もドンドン耳に入ってきていました。
それに引き換え僕は毎日人に頭を下げて、お金を貰ってくる部署。
職場の先輩は、金勘定は得意だけど、クリエイティブなんてまったく関心のない営業プロパーのザ・事務職。
クレーム対応もしょっちゅうで、お客様からの罵詈雑言も日常風景。
こんな仕事をするために、必死で勉強して必死で就活して、他の会社の内定を蹴ってまでここに入ったわけじゃない、と思ったら、悔し涙が溢れてきて…
当然、年に何回かある上司との面接で、切々と訴えました。
自分はクリエイティブがしたい、と。
でもその時に言われたのは「オマエは営業に配属されたのであって、ここで一日でも早く戦力になることが目標だ、それに、一度営業に入ったら、よほど目立ってクリエイティブの責任者の目に留まらない限りそちらに移ることはできない」ということ。
絶望しましたね。
そんな状態に加えて、体育会系の営業部は連日連夜呑みに行く。
そこでは、ソリの合わない上司や先輩たちにお酒を注ぎ、延々と彼らの説教を聞く。最初の居酒屋が終われば次はカラオケ。最後はスナック。帰宅はだいたい午前3時4時。
そんな生活が2年間続きました。
正直に言うと、入社して最初に過ごした営業部でのこの2年間は、今でもちょっとトラウマです。
(※念の為。僕は別に「営業職」を偏見の目で見ているわけではありません。ただ僕がやりたい仕事じゃなかった)
■どういうわけか2年遅れで念願の部署へ
ところが3年目の人事異動シーズン。
なんと僕は、念願だった「クリエイティブ部門」への異動を突然命じられました!
夢じゃないか!?ドッキリじゃないか!?本気で疑いましたね。
入社当時、僕と同じように、希望と異なる営業部門に配属されてしまった同期は20人。その中で、最終的にクリエイティブに異動できたのは僕を含めてたった2人。10人に1人、という狭き門を、なんとかくぐることができたのです!
クリエイティブ部門の責任者の目に(いつの間にか)留まることができたということなのか…?
それとも、意地悪だと思っていた営業部長が密かに推薦してくれてたのか…?
今だから言うと、このタイミングで異動できなかったら、僕はきっと会社を辞めていたと思います。
当時は、まったく希望していない部署で、毎日文字通り歯を食いしばって働いていました。
当時うちの会社の営業部門って、本当に自分に合わなくて…
居室の壁には、数字のノルマがデカデカと貼ってあったし、営業マンひとりひとりの成績表グラフが貼り出されていたし、なんか標語みたいなのもあった。ホント、絵に描いたような「エイギョー」っていう感じだったんです。
高校生くらいの比較的早い時期から、そして大学時代の本気の就活の時も「営業だけはやりたくない」って思っていたんです。
だから、最初に言いましたが、本当に毎日、毎時間「辞めたい」と思っていたし、一時期は相当思い詰めました。
会社に対しても、相当恨みました。
今思うと、よくあそこで挫けなかったなと。
じゃあ何でそんなところからついに僕は念願の部署に異動できたのだろう、というのは、実のところ今もって分かりません笑
一応、営業でも全力で頑張っていたつもりではあります。
新人とはいえ、僕はエリアマネージャーとして10数人のスタッフを統括する立場にありました。そのチームで、担当地域にしらみつぶしに営業をかける。1件でも多く契約が取れるよう、日々彼らを叱咤激励し、作戦を立て、時には休日を返上して相手が会える時に奇襲をかける。そうやって営業成績はそこそこ上げるようになったし、スタッフたちとは一緒に呑みに行ったりしてコミュニケーションは一生懸命図ったつもり。今まで契約を取ったことのなかった法人と大型契約を結ぶことが出来て、「部長特賞」を貰ったこともありました(報奨金はすべて先輩たちの飲み代に消えましたが笑)
でも、僕はそれすらもビクビクでした。
あまり営業で成績を上げると、今度は「オマエは営業に向いている」と思われて、営業部から出してくれないんじゃないか?という懸念も大いにあったからです。
だから、部内でちょっと目立ちそうになると、スッと力を抜いて、取れるハズの契約をワザと先延ばしにしたり…
当然、利益を上げなきゃいけない会社にとっては、ある種の背信行為ですよね。
そんな、悪い社員だった。
ともあれ、なんとか3年目、クリエイティブに潜り込んで、今に至ります。
■会社というのは「理不尽がまかり通る世界」だ
“今に至る”と書いたばかりですが、正確にいうと、僕は入社3年目でクリエイティブに移ってから、ずっとクリエイティブだけをやってきたわけではありません。
実のところ、僕のキャリアの2割方は管理・間接部門です(幸か不幸かあれ以来、二度と営業部には戻っていませんが)。
結局クリエイティブのほうが大半じゃないか?と思われるかもしれませんが、社歴の20%が間接部門というのはクリエイティブをやる人間にとって結構なロスタイムです。
数年間、現場から離れるのです。最新のトレンドからは置いていかれるし、その間タレントさんはどんどん新陳代謝する。
ブームというのはある日突然訪れるし、何より「カンが鈍る」。
現場復帰しても、今日思いついて来月できるほど簡単なものではないので、企画書を作ってから実現するには最短で3ヶ月。大型企画なら準備に1年かかります。
それに、2割といっても現段階で「通算2割」といっているだけで、ある時期は5年間くらい現場から遠ざかっていた。30代前半の、一番元気に現場を仕切れる時代にです。
正直、この時も二度目の「辞めたい病」に罹りました。
「なぜ会社はこんな時期に僕を現場から外すんだ」と憤りました。
そして何より恐ろしかったのは、もう二度と現場に戻れなくなるのではないか?という懸念。
当時僕が仕掛けたキャンペーンで、めちゃくちゃ当たった企画があったのですが、それすらも取り上げられ、別の担当者が後任に納まったり。
もともとクリエイティブなんてライバル心むき出しの連中ですから、こんなことされたらたまったもんじゃない。
当時の上司と僕は、相当ソリが合わなかったから、嫌がらせで報復人事を咬まされたに違いない、と思いました。
それに加えて転勤。現場から管理部門に移る代わりに東京へ異動となりましたが、これは僕をなだめる分かりやす過ぎる小細工。
屈辱に打ち震えましたね…
結果的に、その管理部門では最初の2年間、地獄のような時を過ごしました。上司が今でいうパワハラの嵐で、理不尽の上に理不尽を築くような扱い。3年目に上司が異動し、代わりにとてもリスペクト出来る方が上司になったおかげで救われましたが。
そう考えると、僕が会社で自分の処遇について本当に納得して満足していた時代は、そう長くありません。
会社では理不尽がまかり通るし、自分の思い通りになる方がむしろ少ない、というのが真実だ。
■仕事が辛い時期に趣味を捨てるのは最悪の悪手だ
これ以外にも、小さな葛藤はたくさんありました。
現場でも、いわゆる「背中から撃たれる」ようなことは何度もありましたし、本当に基地外みたいな上司に当たってしまって、我慢しきれずに上司と怒鳴り合いをしたようなこともありました。
職場の「トイレ」だけが、唯一僕が安心できる場所、なんて時期もありました。
ではなぜ僕は今まで会社を辞めずに済んできたのか!?
趣味に逃げたからです。
会社でツラい時期は、職場ではポーカーフェイスを装って、プライベートでは徹底的に趣味に逃げた。
もちろん、アニメは大好きだったし、他にも意外に趣味は多くて、そんな中で新たにできた友人もいた。もちろん会社の人間ではありません。
嫌悪すべき職場から帰宅したら、毎晩かじりつくようにアニメを見まくったし、趣味の友人と共通の活動が出来る時は、貴重な休日を使って、時間と体力の許す限り積極的に参加した。
もちろん音楽制作も。
趣味は決して僕を裏切らなかったし、仲間は僕の趣味や、それを通じて作った創作物をとても評価してくれた。
そんな時、僕は「職場での自分ではない誰か」になれたし、おかげで仕事のストレスは必ず解消することができた。自分という人間には、仕事以外でも何らかの「価値」がある、って思える時間を過ごしたのです。
そのおかげで僕は「自分を保つこと」ができた。
うつ病にならずに済んだし、人生に絶望せずに済んだ。
心からの実感です。
もしこのとき、仕事のストレスで、あるいは仕事が忙しいからといって、自分の趣味さえやる時間を捨て、帰宅してからの時間抜け殻みたいに無意味な時間をダラダラ過ごしていたとしたらどうなっていたでしょうか?
職場で罵られ、評価もされないまま、休日はそんな現実から目を背けるだけで、再び地獄のような職場に通う生活をしていたら?
徐々に徐々に、僕は自己評価を下げ、つまらない人生に絶望して、完全に腐りきったでしょう。もちろんそんな人間は魅力的じゃないし、したがって良きパートナーにも出会えず、人生の意味を見失ったことでしょう。
目に光を宿していなかったら、つまらない人間だと思われ、クリエイティブに再び返り咲くこともできなかったでしょう。
もし今、仕事が辛くて、あるいは今の自分の職場環境に大きな疑問を持っている方がこの記事を読んでいらっしゃるのであれば、そんな時こそ「ご自分の趣味は捨てるべきじゃない」と僕は声を大にして言いたい。
むしろツラい時こそ、ちょっと無理してでも趣味は続けるべきだ。
それがどんな趣味であれ「好きな何か」であれ、それこそがあなた自身なのです。
あなたが「あなたでいられる」大切な支柱なのです。
たかが仕事に、そんな大切なものを奪われて、いいんですか?
■むしろ合わない仕事はとっとと辞めるべし
うちの職場を辞めた2人のルーキーたち。
風の便りでずいぶん充実した生活を満喫しているようです。
再就職ではなく、フリーターをやっているらしいのですが、それでもまったく後悔している様子はない。
彼女たちは、最高学府を出ていました。
東大を卒業し、うちの会社に就職し、1年も働かずに辞め、今はフリーターをやっている。せっかく掴んだ「安定」という切符を破り捨て、自分らしく生きようとしているその姿は、羨ましくもあります。
彼女たちは、間違いなく「自分の人生を生きる」と決断した。
せっかくイイトコに入ったのにもったいない…
給料だって悪くないのに…
何しに東大まで行ったの…
フリーターなんて…
会社にしがみついている僕が偉そうに言うことではありませんが、こんな批判はクソくらえです。
これらはあくまで他人の評価。周囲の価値観に過ぎない。
あるいは親?のエゴでしょうか?
「わざわざ東大まで行ってキチンと就職して」みたところで、その会社で自分の精神削られて、死んだ魚の目のような表情で毎日を送るくらいなら、いっそキッパリと辞めてリセットしたほうが何倍もまともな人生を送れる、と彼女たちは決めた。
この会社は自分には合わない、と勇気をもって決断したのです。
辞めた理由は結局分からずじまいでしたが、その人生に幸あれ。
もしあなたが今の会社が合わない、と日々思い悩んでいて、その際に親がどうのこうの、と思っているのであれば、あなたは親の奴隷だ。
親は最終的にあなたの人生が幸福であることを望んでいるハズ。
「せっかく大学までやったのに…」なんていう親は、あなたのことを単なる「自分を着飾るための装飾品」としか思っていませんよ。
お隣さんに「うちの子は〇〇社に入りましてね」と自慢したいだけだ。
そのために自分のメンタル削ってどうする?
■決断する時は「自分」を軸足に置け!
僕の場合は、転勤の多い会社で、部署も多岐にわたっていたため、人事異動でワンチャン職場環境をリセットすることができる可能性があった。結果的に僕は、人事異動で9回裏逆転満塁ホームランを何回か経験した。
でもそうでない職場にお勤めの方。今がダメなら、将来好転することはほとんどあり得ないですよ。なぜなら会社とは人が作っている。あなたを否定する人がその会社に居続ける限り、あなたに逆転の目はない。
決断の時です。もし「もう会社に行きたいくない」とまだ心の中で自分に対して意思表示できるなら、その延長線上に「リセット(=退職)」を具体的なビジョンとして描くべきだし、実行に移すべきだ。決断が遅れれば遅れるほど、あなたの市場価値はどんどん目減りし、半年前なら得ることが出来た次の人生をみすみす逃すことになるかもしれない。
それに…会社に殺されるより1万倍マシだ。
逆に、あなたが誰よりも根性があって、ドMで、どんなに虐められても30年耐えしのぐ覚悟があるならそのまま職場に残ればいい。さすがに30年も経てば、あなたの敵も撤退(=退職)するでしょう。
でもその場合でも、いつでも自分らしさを見失わないために、僕のように「趣味は捨てるべきではない」。趣味とは、あなたがあなたでいられるための、魔法の力です。
今は「ワークライフバランス」が重視される時代です。
仕事と私生活をバランスよく両立させること。
仮にあなたの会社や上司が「すべてを犠牲にして会社に忠誠を誓え」とか、就業時間を超えて平気で残業を押し付けるような輩であれば、所詮会社(上司)はあなたのことを大切には思っていない。そんな会社はどうせ離職率も高いでしょうし、10年も経てば経営が揺らぐ。
惜しむことはない。
大切なのは「自分」です。決断の時は常に「自分」を軸足に置くのです。あなたを守れるのは、あなたしかいない。
どうでしょうか?
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