3月11日になりました♪
3月11日。
日本人にとって、忘れ得ぬ日、2011年の3月11日。
東日本大震災が発生して、早や7年の月日が経ちました。
あの時を思い出すと…長男たくみはまだ幼稚園の年長。
朝の生放送が終わり、一旦帰宅。
幼稚園の迎えに行った時間に…地面が大きくうねる感じ。
ちょうどたくみのクラスメイトも一緒に居て、その子も連れて(今、中学でクラスメイト)園庭の真ん中で3人座って揺れが収まるのを待った。
明らかにデカい地震だった、しかし私が感じたその揺れのデカさは東北地方の比じゃなかったのです。。。
その後、家に電話。
妻との電話は繋がらず、あとで聞くと、産まれて2ヶ月の次男りくとを抱えて急いで家の外に飛び出したんだそうです。
たくみを自転車の後ろに乗せて、駅前の方に行くと…街の電気屋さんの店頭に置いてあったテレビが映し出す映像は、街を大きな濁流が飲み込もうとし、船や車、家までもが押し流されている光景でした。
ここで初めて、日本がとんでもないことになってしまっていることに気付かされるのです。
東京でさえ大変な状況でした。
物資が不足する。
食品が不足しがちになり、ガソリンがなくなり、、そんな中、あの福島第1原発の爆発事故。
放射能に戦々恐々とし、水道水は危険と言われ、皆、争うようにペットボトルの水を買い集めるようになる。
その当時…私自身はもうあがいてもしょうがないや、と思ってましたが…まだ幼いたくみやりくとだけは健康であって欲しい、と近所のディスカウントショップで購入したペットボトルの水を飲ませておりました。
節電のせいで町全体がどこか暗い感じ、加えてテレビではどのチャンネルも震災関連の報道ばかり。
私自身、決まってたバラエティー番組の収録は殆どがキャンセルになりましたし、何かお笑いをやるなんてこと自体が不謹慎、なんて空気に支配されていました。
近所の公園の砂場にはビニールシートが被せられ、線量計なんていう、今までもこれからも縁がなかった筈のものに高い関心が集まったり。
あれから7年、人間って気楽に出来てるんですね、少しずつ薄らいできている。
でもそれは被災地ではない場所での話。
身元不明の方が沢山いらっしゃる、震災によるダメージから立ち直れていない方も沢山いらっしゃる、しかしながらその状況は被災地に居ないので実情が分かっていないのですね。
もし私の家族の誰かがあの日に居なくなってたりしたら、と考えたら…その悲しみはもう筆舌に尽くし難い。
皆元気に一緒に居られる。
この幸せをしっかり忘れず感謝せなアカンな、そう思っております。