阿部吉宏先生、良縁をありがとうございました!そして母が心停止から職場復帰!私の仕事もなんだかいろいろ超多忙です!の巻。
私、6月17日に、こてつさんとともに、阿部派一刀流 阿部吉宏先生に「縁斬り抜刀」をしていただきました。
東京にいたらエムPさん御一行様と、同行で山形の道場へ向かえたんですが、今は福岡にUターン中ということ、母が病に倒れたことなどから、今回、「代行」という形で取り行っていただきました。
↑ ↑ 送っていただいた「ヒト形半紙」に、墨汁で名前を書いているところです。
ここに書くのは、縁を切りたい特定の人物の名前ではなく、自分の名前なんですね。
儀式では、この半紙がバッサリ斬られるので、
いやだ、私が斬られるの ⁉︎
と、ビビッてしまうんですが、阿部先生の抜刀について書かれたものを拝読し、
いち人物との縁をどうこうというより、私の創作や、健康、家族との日常などが邪魔されることがないよう、すべてのよくない物事を斬り捨ててくださる、そして守ってくださるということなんだなと、解釈しました。
名前を書くことも儀式のうちなので、この日は、むかし神楽坂で反物から仕立てた、お気に入りのウサギ柄の紬(つむぎ)の着物に袖を通しました。
この着物は、三省堂書店でのサイン会用に新調した宝物で、良い思い出がたくさん詰まっています。
三省堂書店 神田本店 末永直海「煩悩配達人」(小学館) 刊行 サイン会 (2000年)
この様子を見てもわかるように、一時は17社に担当編集者がいた売れっ子の私でしたが、小説のほうが年々、パッとしなくなりましてね〜!
ひとつには、出版不況という背景もあり、もうひとつには、小説を書くとか、プロデビューするとか、考えたこともなかった私が、突然デビューしてしまったので、やり方を間違えたこともあるでしょうね。
芥川賞作家の友人にも、「住み分けをしないとダメだ」と苦言を呈されていたんですが、八方美人的に、いろんな会社から一冊ずつ出して、作風もちがう、ということをやらかしていたのが、後になって、まずかったのかなあと分析したりしていました。
一時は1000万近くあった年収も150万を切るようになって、生きるために、絶対にやりたくないと思っていた関係ない仕事「バイト」(工事現場)(結果的にこの経験は面白かったんですが)を、始めたりしてた頃に、偶然にも趣味で出した粘土の本が売れて、
鈴山キナコという名前のほうで、いっきに起死回生をはかれたんですが、
これもいつまで続くのかな〜⁉︎ とは内心、思っていました。
だいたいいつも、悪いことばかり続いてメタクソになったあと、グァーっと急展開に盛り返し、名前も生活も年収も変わって、調子に乗ってると、また谷底に堕ちてゆき、またグァーっと盛り上がる、ということを、かれこれ50年以上繰り返しておるんですが。
まあ、そんなことはどうでもいい。
今回「抜刀、おそるべし!」と、実感したことがいくつもあり、紹介させていただきます。
★抜刀効果の実感★
その一
まず、抜刀前から。
阿部先生の記事で、「道場をのぞく黒い煙のような影が見えた」「とても強力な黒い力を感じた」と書いてあり、これを斬るために、普段、使用している御神刀「ひもろぎ」に加え、最強の退魔刀を使うことにした。と、書かれていました。
その剣の名は。。
荼枳尼(ダキニ)
これを見た瞬間、私はビックリして、大声で叫びました。
私は「荼枳尼天」(だきにてん)様が大好きで、部屋にも赤坂の豊川稲荷で買ったお札を貼っており、
今でも年に4回以上は、福岡から東京・赤坂の豊川稲荷に通っているんです。
ここじゃなくてもいいのかもしれないけど、以前赤坂5丁目に住んでたときに通い出したのもあって、この場所がパワースポットになっていました。
行くとその帰り道にもう電話が鳴ったり、翌日とか一週間しないうちに、必ず大きな仕事が来るので。。そのお礼のためだけにまた行く、の繰り返しで、20年くらい経ったかなあ。
今年の1月には、豊川稲荷に縁切り絵馬を置いてきたばかりでした。
荼枳尼!!
これは、たんなる偶然でしょうか?
総毛立った瞬間を今でも思い出します。
その二
今も拘置所にいる、認知症まじりの凶悪・凶暴老人の親戚が、ちょうど抜刀から数日ほど経った頃でしょうか、しきりと反省の言葉を口にしだした、というのです。
八幡東署の担当の刑事さんから聞いた話です。
まあ嘘しか出ない口ですから、信じてませんけど、、なんだか不思議です。
その三
抜刀のヒト形半紙がうちに届いた日、まったく見ず知らずの女性から「あなたの力になりたいです」と、ホームページ宛にメールが届きました。
そのかたは、私と歳が近い女性で、福岡在住。手芸の講師として、精神障がい者施設を中心にワークショップをしている人で、
私が東京から福岡にUターンしたことを知り、なんの見返りも求めず、私の活動を後押ししたいと申し出てきてくださり、私は人がこわいので、しばらく警戒しながらメールをやりとりしていましたが、
抜刀後、福岡県、広島県、その他九州近郊で太いパイプを持つ、主要な手芸関係の会社などを紹介してくださり、次々と収入の道筋をつけてくださいました。そのかたの人としての、信用があったからこその、お話でした。
これは、福岡においては、私ひとりでは何年かけても成し遂げられないことだと思いました。
私は東京では、手芸作家として、テレビにも多く出演していましたし、大阪・名古屋でも盛り上がっていました。しかしどんなにこの三県でネームバリューがあっても、福岡では誰も私を知らなかったんです。。
別の国みたいに文化がちがい、、流行っているものからなにから、価値観が独自というか、まったく違っていまして、
福岡に転居した2016年頃、ひとりで博多の手芸店舗に挨拶周りに行ってみたとき、
あんた・・・誰???
とばかりに、けんもほろろに数件、撃沈していましたので、
正直、もうこの仕事は福岡ではやらないようにしよう、と考えていたところでした。
生まれた場所なのに、哀しかったですよ。
それをひっくり返すように、突然あらわれた女神さまが、どんどん太いパイプをつなげてくれるんです。
ちなみにこのかたは、多くの年配の手芸ファンがそうであるように、あまりインターネットが得意ではなく、こちらのblogのこともご存知ないようでしたので、私が困っていることを知って、助けようと連絡したわけではないようです。
ここで、手芸の世界について、説明をさせていただきます。
手芸は、ほんらい趣味の世界で、財閥の夫人などが、社会と関わりを持つために、自ら出資をして活動をする世界で、手芸専門雑誌なども、先生からお金を1ページ数十万円頂いて、先生の作品を掲載するような世界として、続いてきました。
出版も、自費出版は当たり前どころか、初版部数の半分を買い取り条件にする世界で、
私のように小説と同じ条件で、初版印税をしっかりもらって、契約書を交わし、日々の米を買うための仕事として出版する人(基本びんぼうな)は、皆無な世界なんです。
手芸で純利益が24万円以上の月収がある人は、全国に8人しかいないと言われていて、(今、ハンドメイドの作品を売って儲けている作家さんがたくさんいるとか、それを仕事にして生活しているとかテレビでやたら特集してますが、あれはウソです)
その8人の中に私も入っていたんですが、
ほとんどが趣味で手芸を楽しむ先生しかいない地方では、私みたいに、交通費・材料費・歩合計算の話を出すと、倦厭されてしまうわけなんです。
そんな中、女神さまみたいなその方の登場で、いっきに晴れ間がひろがり、
なかには東京以上に好条件のお仕事も、次々に決まってきています♪
先日、その親切な方に、6/24に
うちに来ていただき、はじめてお会いしたんですが。。
はじめて会ったような気が、まったくしない人で。
まず、私と顔がそっくりで、驚きました。
福岡によくいる顔っちゃ、そうなんでしょうが、おでこが広くて、目がぐりぐりして、くちびるが厚くて、、血を分けた人間同士みたいに、よくにてるんですよ!!
なんだか、タモリさんの「世にも奇妙な物語」みたいな話ですよね。。
とてもありがたく、こわかったです。
阿部吉宏先生、良縁を引き寄せてくださいまして、ありがとうございます!!!
追伸★5/13に犯人に襲撃され、5/17に急性心筋梗塞で心停止で倒れた母は。
二回の手術も成功し、、前より元気になって退院しました。
しばらくは、私が食事の世話もしていたんですが、
6/20~自分のことが自分でできるようになり、
7/3 より、なんと職場復帰を果たすことになりました。パン屋さんの厨房に勤務しています。
5/17に心停止状態と診断されていた母が、まさか働けるまで回復するとは、、
今でも信じられないです。
ここから先は、いただいた運に甘えることなく、私自身が強い心を持って闘っていかないといけないと考えております。
すんません、いろいろ生々しい話ばかりで(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。