デコにちは★今日は初夏にふさわしい、ミニチュアかき氷&オレンジジュースのセッティングから。テーブルに見立てたCDで、サイズ感も伝わりますか?
かき氷は透明粘土+タミヤカラー。コースターはボタンを使用しました。
オレンジジュースは、レジン+タミヤカラー。ストローはしま模様のクリップをニッパーでカットしたものです。
このオレンジジュースは。。
6/22に天国へ旅立たれた、小林麻央さんへの「追悼」作品です。
麻央さんの最後のブログタイトルが「オレンジジュース」だったから。
私はいち読者として、毎日欠かさずブログを拝読してました。オレンジジュースが美味しかったと、かわいい笑顔を見せていた、あのブログがさいごの更新になるなんて。。
麻央さんのブログを読むようになったきっかけは。自分の過去にあります。
本当に情けないエピソードですが。私自身、8年ほど前、ふとした検査で「子宮頸がんのクラス3a」と診断されたことがあり、そのとき自分を取り巻く世界が一変したことがありました。
がんの進行は前段階として、クラス1~5があり、その先にがんとしてのステージ0~Ⅰ~Ⅳがあります。クラス3aは「疑陽性」というグレーゾーンなんですが、その程度の結果でも、がんと自分が結びついたことに驚き、青天の霹靂というか、寝耳に水というか、もう頭を殴られたような衝撃を受けました。
そんな私ですから、乳がんのステージⅣの最中にあってなお、気丈にブログを更新し続ける麻央さんを、すごい人だと思いました。
「どうしたら、苦しみの中で、こんなに輝いていられるんだろう?」ひそかに寄せた関心が、いつしか麻央さんをブログ上で追いかける、ファン心理に変わってゆきました。
病床六尺。これが我世界である。
これは結核から脊椎カリエスを患って床に伏していた歌人・正岡子規の晩年の随筆ですが、贅沢三昧で病気を悪化させ、文句ばかりだった子規とはちがい、現代に生きた麻央さんは、病床六尺の世界からインターネットという文明の利器を使って、読者に夢や希望や憧れを与え続けていました。
麻央さんは、「病人」ではありませんでした。
麻央さんが着てるパジャマから、私は「ジェラートピケ」というトレンドを知り、麻央さんが痛みを緩和させるために愛用していた、冷え予防のお役立ちグッズである「玄米カイロ」を「いいな」と思い、すぐに自作してみたり。
麻央さんが愛用しているもの、紹介するものは、いつも検索ワードの上位にのぼり、商品も売れていました。
みんなが麻央さんに注目し、麻央さんが使っているものを自分も使ってみたい、私も欲しいと、病床の麻央さんに、敬意と憧れをもってキラキラと注目していたのです。これは、かつてみたことがない現象でした。
末期がんの病床にあって、毎日の更新。美味しい食べ物を教えてくれたり、日々の気づきまで与え続けてくれた、小林麻央さん。本当に素敵な女性です。私は尊敬の念でブログを読み続け、どうか良くなって欲しい、もっともっと生きて、いろんなことを見たり触れたりして、それを私たちに伝えてくれたらと、願っていました。
麻央さんのブログを読むたび、私は8年前に自分の世界が変わったことを、思い返していました。なにが起こってもメンタルを強く持って、書くことのネタにしてやろうくらいに考えていた強い自分が「病気」という予想外の宣告を受け、そのメンタルは一気に崩れました。
旦那はんは、私の「嘆き」に飲み込まれ、がんが進行していったときに備え、手術や食事などの知識を検索。母は親戚の漢方薬剤師に、連絡。ただの顔見知りていどの人が、「一緒に考えましょう」とメールをくださり、歩み寄ってきてくださり、いっきに大親友になり、、、。
「アポトーシス」など、家の中に専門用語が飛び交います。昆布の成分「フコイダン」がガンに効くと知り、わらをもすがる思いで注文したり、旦那さんは昆布のお吸い物、昆布と豚肉の煮付け、昆布サラダ、と、昆布料理ばかり作ってくれるようになり。
いったいあの騒動は、なんだったんだろうかと、思い出すだに恥ずかしくなります。
まぁ、これが自分なんだろうなー。。。(遠い目)
こんな体験とは、くらべものにならない巨大な壁を前にした、麻央さん。しかし最初は、ただただ、戸惑いや哀しみにうちひしがれていたといいます。
あるときから、病における自分のあり方を、自問自答したそうです。
ブログを書き始めよう。
自分が理想とする、強い女性としての自分の姿を、日々、刻み続けよう
と。海老蔵さんはじめ、ご家族のかたも、麻央さんがブログを書き始めたときは、その覚悟に驚かれたようです。
麻央さんが、覚悟を決めるきっかけになったことのひとつに、ある「詩」との出会いがあったと書かれていました。亡くなる約3週間前に、「蝶」というタイトルで綴られた回でした。
それは麻央さんが、乳がんの告知を受けた頃に出会った、乳がん治療のエキスパート医師である山内英子さんの著作「乳がん(よくわかる最新医学)」の中で紹介されていた、Dr.チャールズ・E・コックス氏(このかたは詩人ではなく、やはり乳がん治療の権威と呼ばれる医師です)が、患者さんを想って書かれた詩でした。
麻央さんのブログのおかげで、今まで知らなかったこの詩に出会うことができ、例の犯罪被害※で生活を乱されていた私にとっては、おおきな「救いの詩」になりました。
それは、こんな詩でした。
「転身 ー蝶よりバラへー
Dr.チャールズ・E・コックス
乳がんの診断を受けたばかりの
患者さんは まるで蝶のようだ
逆風のなかで 翻弄する
並はずれた美しさを身にまとった蝶―
その世にも恐ろしい体験の渦中で
進むべき道が見あたらないときも
未知のゴールを目指し
蝶たちは突き進んでいく
その飛行は 滑らかで勇ましくもあるが
ときに早期の終焉にたどりつくこともある
だが その飛行を耐え抜き
生き延びたものたちは
種を守り抜く決意と義務によって変容する
その時点で 彼らはバラに生まれ変わる
威厳があって美しいが
まだどこかはかなげで
蝶の時代に吸っていた
甘い花の蜜に満たされている
逆境によって産み出されたとげが
生命維持のため
花に降り立つはかなげな蝶たちに
尽きることのない回復と庇護の源を与える
それは 私がこのうえなく尊敬する女性たちの
人生における華麗なる変容だ
いかにも それは転身である」
~ 中略 ~
「蝶やバラに囲まれて過ごすことは 喜びである
ときに混沌として 心痛むこともあるが
おおかたは美しい 価値のある時間である
人生は 誰の上にも悲しみや絶望をもらたす
しかし 私は希望し続ける
われわれすべてが 人生のもう一方の産物である
美しさや希望ばかりを抱き続けることを」
(山内英子/著 「乳がん(よくわかる最新医学)」より抜粋)
麻央さんも書いておられたように、乳がんだけでなく、すべての苦しみに憔悴する方に、苦しみを受け入れて、転生する覚悟を教えてくれる、力強い詩です。
この詩に出会えて、本当によかったと思います。
小林麻央さんのご冥福を、お祈りいたします。
※(ホーディング障害について)↓↓
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盛りデコ帽を脱いだら「末永直海」に戻って
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(キナコに変身してる時間のほうが長いので、もうどっちが本業だか?)
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