しかしながら…1つのアイデアが浮かびました。 昭和こいる師匠と“昭和のいる・こいる”の漫才がしたい!と思い立った企画、『木曽さんちゅうのザイマン演芸会』。 この“5名の方と漫才をする”企画のお一人に…実はナンセンスの岸野師匠に出て頂くのはどうだろう…
まずは普通の漫才の出方で出て行くお二人。 軽く自己紹介、これは営業ではセオリー。 お笑いに興味のない人に対してどうアプローチするか?これが営業における必勝法であり、少しでも興味を持って貰えるように入念に自分の身の程を伝えることはとても大切な…
一緒に行ったメンバーはWコロンのほかに…青空球児・好児師匠、ぴろきさん、宮田陽・昇さん、そして先述のナンセンス師匠のお二人。 大部屋の楽屋でスタンバイ。 するとナンセンスの原田師匠が騒ぎ出した…「ないんだよぉ、靴下が片方ないんだよぉ」。 何と庶…
近年亡くなられた師匠方の中に、ナンセンスのお二方がいらっしゃいます。 元々は“ナンセンストリオ”というお名前で(…今思えばとても良い名前だ)、その名の通り、トリオで活動されてらっしゃいました。 結成は1964年、私でさえ生まれる前の話です。 結…
改めまして、昭和こいる師匠との17年に亘るお付き合いで、私は様々な気づきに触れることが出来ました。 若い頃はとにかく上下関係が面倒で、目上の…特に“師匠”と呼ばれる方々との接点は出来る限り避けるようにして来ました。 その理由は幾つかあって、単純…
こいる師匠が亡くなってしばし。 TBSラジオに『らんまんラジオ寄席』という演芸番組があります。 私もWコロンの時代に何度も出して頂いたことがある番組ですが…その『らんまんラジオ寄席』にて、昭和こいる師匠の追悼企画がありました。 赤荻歩アナウンサー…
こいる師匠が亡くなられてまもなく2年の月日が経とうとしています。 私は何処か、こいる師匠が亡くなられたことを受け留められていないというか…けじめがつけられていないような気がしています。 それはすなわち、お通夜や告別式といった場に出向き、こいる…
遺された者にとって、お通夜や告別式はとてつもなく負担が大きい。 亡くなった方をいち早くお見送りすべく、とにかく悲しみに浸る間もなく段取りを進めなければなりませんし、同時に役所や銀行、使用していた生活インフラの手続きもしなければなりません。 …
コロナ禍になり、様々なことに制限が設けられるようになってしまいました。 マスクの着用、手洗いうがい手指の消毒、外出の制限、入場の制限…枚挙に暇がありません。 そんな中、非常に難しい判断を迫られたのが…“お通夜・告別式”。 あの志村けんさんや岡江久…
最悪の出会いに始まったこいる師匠との出会い。 この最悪というのはあくまでこいる師匠から見た、礼儀のなっていない私のことを指しています。 それがまぁ、人生何がどうなるか分からないもんで…私がこいる師匠に「のいる・こいるのネタを一緒にやって頂けま…
その電話によると…12月頭の段階で、主治医の方からこいる師匠の命はもって今年いっぱいと言われていたんだそうです。 余命1カ月。。。 嗚呼、そんなこと知る由もない私は呑気に「来年は沢山一緒に漫才やりたいです!」なんて…こいる師匠ご自身も主治医の…
翌日の準備で大変でしょうし、体調が芳しくないこいる師匠がお休みになってしまっていたら…ご家族に迷惑になってしまうかもしれないし、このコロナの時期に不躾にお宅に押し掛けることも失礼にあたるかもしれない、そもそもご家族とは面識がないということも…
2021年12月頭の話になります。 昭和こいる師匠、そして私が籍を置く漫才協会がこんな催しを開催致しました。 漫才協会の外部理事に大御所放送作家・高田文夫先生が就任したことをキッカケとして催された企画、題して『ザ・東京漫才』~漫才師の漫才史…
電話を切って…私は焦りました。 数年に亘るがんの闘病、体調には波があったんですが…その年の7月にライブに出て頂いて以降、コロナの影響でお会いすることがままならないうちに…かなり調子が悪くなられてるように感じました。 それでも若輩者の私の代演を引…
私がJ:COMさんの『ジモト応援!東京つながるNews』という情報番組のMCを月・水・金曜日のレギュラーとして務めさせて頂いていた頃の話。 この番組が始まったのは2020年の6月から。 あくまでコロナ対応を踏まえた形での出演になりまして、昨年の4月~9…
昭和こいる師匠はお相撲が大好きな方でした。 まぁ、こいる師匠が生まれた1944年(昭和19年)のあたりの世代の方は、相撲が好きな方が多いので…そう珍しいことではないんでしょうけど、これがまぁ、私のような野球世代にはとても微笑ましく感じられま…
続いて…帰路の話。本番を終えて小松空港に向かうワゴン車の車内は…幾ばくかの開放感で充満しております♪ “昭和のいる・こいる”の漫才ってボケのこいる師匠がイー加減に相槌打ったり、適当な返事したりしてのらりくらりやってるところを突っ込みのこいる師匠…
ちょっとシリアスになって来ちゃったので…少しだけ思い出話を♪ 石川県の金沢に一緒に営業で行かせて頂いた時の話です。今は便利な時代ですねぇ、そう思ってキーワードを入れて検索したら、よほどの昔じゃない限り、大概は詳細が判明します♪2013年6月2…
頂いた時間は20分、振り返ってみると…私的にはこの時の漫才が最も良い出来だったと思います! 少ないなりに数を重ねて来たネタを…ツッコミである私は筋で追いながら話を進めます。 数を重ねれば重ねる程、心のゆとりが出来て来ていることを感じながら…こい…
草加駅でこいる師匠と無事合流。 駅から目の前のイトーヨーカ堂の中に入っている会場まで向かいます。改札を出て直ぐ、バスロータリーみたいなのがありまして、そこに面白い銅像があるのを見つけたこいる師匠… 「へぇ、面白い銅像があるねぇ」 …というなり、…
今思い返しても、こいる師匠とのアドリブの応酬はメチャメチャ楽しかったし、とても大きな自信にもなりました♪ こいる師匠は好き放題喋り、私はそこに付いていく…その時まで持っていたこいる師匠に対する私が(そしてお客さんも同様に)持ち合わせていたイメ…
今回の出演もトリの出番に合わせて入り時間も少しでも負担にならないよう、配慮しました。 ライブの真ん中に仲入り(休憩)を入れて、その時間に最寄りの下北沢駅にお迎えにあがる。そしてネタの打合せは…下北沢駅で合流して、会場までの道中のみ。 思えば昭…
さて、時東ぁみさんと私、木曽さんちゅうの2人でやってたインスタ配信番組IGTV『ぁみ木曽のメガネ祭り』について、もう少し触れておきたいことがあります。ぁみさんのインスタグラムのアカウントにて、毎回ゲストをお招きしてトークをする企画だったんです…
北区のご自宅から三軒茶屋のスタジオまで“こいる師匠と2人でドライブ”。 お誘いした時は正直緊張しましたが…これが想像を遥かに上回る楽しい道中となりました! まずは「今回もご満足頂けるようなギャラをお渡し出来なそうで…」とお詫びから。 するとこいる…
“昭和こいる”という名のある方、当然ながら分不相応に当たるお話はご相談しにくいし、ご相談しても門前払いで一瞬の撃沈だとばかり思ってました。 ところが…こいる師匠は実はそうじゃなかったんですよね。 今改めて思い返しても…お立場に相応しくない相談ば…
入った時には最も厳しい印象だった昭和こいる師匠が…晩年、1本のマイクを挟んで2人で“昭和のいる・こいる”の漫才をやることになるなんて、人生本当に何が叶うか分かりません。 しかもですよ。 お江戸上野広小路亭やお江戸日本橋亭といった演芸場だけじゃな…
今日はちょっと違う角度の話を1つ。 こいる師匠がお話をする際、私が気付いた1つの癖?というか習慣みたいなものがありまして。 それは…人に話しかける時、相手に名前で話し掛けること。 具体的に言いますと、例えば話し相手が私であれば… 「木曽くんさぁ…
そういえば。 2回目にして、最期のさし呑みでの話。 この日のこいる師匠は体調が良かったお陰で、お隣のお客さんに話し掛けたり、お酒を飲むピッチも順調だったり、何より2軒目に行こうとして下さったり…聞かされてなかったらご病気であることに気づくこと…
「ほら、たかなりの!」 「“ひととなり”ですね!分かりました、聞いてみます!」 …“たかなり”というのは…私が組んでたコンビ・Wコロンの師匠にあたるWエースの谷エース師匠のご子息のお名前(私はWの一門ではなくなってますが)。 “ひととなり”というのは、…
先にも紹介した通り、こいる師匠と2人で呑みに行かせて貰う機会は…2回で終わってしまいました。 その2回目にして最後となってしまったこいる師匠とのさし呑みは…ずっと紹介している、私が主催していた『ザイマン演芸会』の2回目が終わった直後。 思い返…