『昨日より今日はもっと×2!素敵』 BLOG(イケてる大人計画)

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【アニオタはかくしてLIVE演出家になった】54小節目♪「卑怯の連鎖が止まらない…日大アメフト殺人タックルに見るノブレス・オブリージュの喪失」

れらpです。
みなさん既にご承知の通り、5月6日に開催された関学vs日大のアメフト定期戦で、目を覆うようなラフプレーが行われました。
今日はこの問題を機に、最近止まらない「卑怯の連鎖」について、少し考えてみたいと思います。


■監督の指示か?選手個人の暴走か?それ自体は問題の本質ではない

事実関係そのものは、既に大きく報道されていますのでここでは割愛します。

▼こちらの記事が一番まとまっていると思いますので事件の詳細はこちら

qboekendorp.hatenablog.com

ちなみに、被害を受けた関学は激おこ状態です。
その後の加害者側・日大の対応もデタラメで、とても誠意のある態度にはみえません。50年以上の伝統があったこの定期戦も廃止される可能性が出てきました。それどころか、日大フェニックス、今や廃部の瀬戸際です。
一部報道によると、タックルされた関学QB(クオーターバック)の家族が、相手選手に対し刑事告訴も辞さない、とまで言っているそうです。

気持ちは分かります。ボールをパスしてプレーを終え、無防備になったところに全力で戦車みたいな勢いで背後からタックルされたのです。下手したら半身不随の重傷を負ってもおかしくない。
ネット上で「殺人タックル」と揶揄される所以です。

さて現在は、この卑怯なプレーが「選手個人の判断だったのか」「監督が指示したものなのか」どっちなんだ?ということが大きな焦点になっているようです。

タックルした選手も、もともと日本代表に選ばれるほどの優秀な選手だったようですが、この事件のあと退部に追い込まれました。なんでも、監督に冷や飯を食わされ「反則してでも相手選手を潰すのなら試合に出してやる」と言われ、その通りにしたんだとか。
これに対し監督は「そんな指示は出していない」と言っているそうです。まさに水掛け論。

nu-phoenix.com

印象操作をするつもりはありませんが、その後日大の選手たちはこの監督の下ではプレーできないとして、数十人がボイコットを始めているといった報道もあるようですから、このチーム、監督と選手がもともとかなりの緊張関係にあったことが伺えます。

ところで、今世間が大いに盛り上がっているこの「どっちが主犯なんだ」問題、そこって本当に大事なんでしょうか!?

これって要は「タックルした加害選手もある意味被害者、悪いのは監督」というストーリーを、世の中全体が無意識に求めているだけなのでは…?


■日大選手が持ち合わせていなかったプリンシプル

確かに選手にとって監督は絶対君主でしょう。
試合出場の機会を含め、まさに選手生命の生殺与奪の権限を持っている。

しかしだからといって、こんな卑怯な手を実際に実行に移すことが許されるのでしょうか。

では監督に「死ね」と言われたら死ぬんでしょうか?
そんなことはないでしょう。

アメフトはもともとフィジカルリスクの伴う競技だ。そんなことは選手が一番よく分かっているハズ。たとえ監督にラフプレーを指示されたとしても、そこは「人間として」思い留まらなければいけない一線ではなかったか?

もしかしたらこの監督は「暴君」だったのかもしれません。
少し前に、レスリングの伊調選手に対するパワハラ問題が大きな関心を集めましたが、日大アメフト部も、そんなパワハラ地獄に陥っていた可能性がある。

そんな「絶対服従」のような環境下で、いち学生である選手たちに理不尽な支配からの決起を求めるのは少し酷なのかもしれません。

しかし選手はロボットではないのです。
一人の人間として、大学生ともなれば、ましてやスポーツマンなら、最低限の善悪の判断はつくはずだ。

「物事の原理・原則」のことを「プリンシプル」と言います。
「人が生きる上での美学」あるいは「生きざま」と訳す人もいます。

仮に今回の事件の真相が「監督からの指示」だったにせよ、かの選手はまぎれもなく“自分の意思“をもって、関学QBに突っ込んでいった。
その時、彼にスポーツマンとしてのプリンシプルが備わっていたとしたら…
「相手の生命を脅かしてでも試合に勝とう」などという考えには至らなかったはずだし「反則を犯してでも相手を潰せ」という恐ろしい指示には、絶対に従えなかったはずだ。

彼にスポーツマンらしく「名誉」と「正義」を重んじる心があれば、あの殺人タックルはそもそも起こり得なかった。

こうやって冷静に考えると、この選手はまぎれもなくあのとき間違いを犯したことが分かります。決して“ある意味被害者”などではない。

仮に監督が「黒幕」だったとしたら、彼は「実行犯」です。
罪は変わらない。
だから僕は、彼に対し下手な同情はしません。


■一番問題なのは日大監督の「ノブレス・オブリージュ」欠如

この言葉はもともとフランス語で、直接的には「地位に伴う義務」という意味です。転じて、特に欧米では「リーダーはそれに相応しい責任を果たさなければならない」あるいは「社会全体の模範となるように振る舞わなければならない」という意味合いで用いられます。

もともと貴族社会であったヨーロッパでは、人々の上に立つ地位の人間は、その支配に相応しい義務を果たすべきだ、という風潮が一般的です。だから、現代でも貴族制度があるイギリスでは、王室の人間が必ず軍隊に入る。アンドリュー王子がフォークランド紛争に従軍したのは有名な話です。

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アメリカでも、大統領候補に従軍経験があるかどうか?で、その人気にかなり違いが出ると聞いたことがあります。

日本でも、戦前は皇族の方が軍に入るのが当たり前だったと聞きます。

硫黄島守備隊長・栗林忠道中将の「余は常に諸子の先頭にあり」という言葉も、このノブレス・オブリージュの表れでしょう。いわゆる「指揮官先頭」精神です。決して部下の陰に隠れない。

昔から人間は、上に立つ者が責任を果たすことで社会の秩序を保ってきた。従う者は支配者をリスペクトすることが出来た。いざというとき、上が全責任を負う、という姿勢があるからこそ、下の者は上を信じて戦えるのです。

これはスポーツに限らず、会社における仕事でも一緒だ。

でも最近はこの精神が本当にどこかに行方不明になっている傾向があるように思います。

日大監督が今回「俺はそんな指示はしていない」と発言していることがまさにそれです。

もしこの監督に、ノブレス・オブリージュ精神が宿っていたなら、今回の事件が仮に本当に選手個人の独断が引き起こした悲劇だったとしても、監督としてキチンと姿を現し「全責任は自分にある」と言って謝罪もし、その行為の結果の重大性に鑑みて迷うことなく辞任もするでしょう。

今回世間で大バッシングが起きているのは、まさにそういった「責任者としてあるべき姿を見せていない」ことに対する強烈な抗議の意思表示に他なりません。

だからこの問題の本質は「どっちが主犯なのか」ということではない。
引き起こした問題に対する「正しい対処がなされるかどうか」「責任を取るべき人間がキチンと責任を取れるかどうか」が一番重要だと思うのです。


■山口達也さんの問題で事務所社長が出てこなかったことも根は一緒

ジャニーズ問題に触れると、いろいろハレーションを引き起こすかもしれませんが…。

もしこれっきり、万が一僕がライターから外されたら、なんらかの「忖度」が働いたと思ってください笑

山口達也さんの事件(不起訴処分になりましたので敬称をつけています)を受けて開かれた記者会見では、本人と事務所の弁護士のみが登場しました。その後のTOKIO会見でも、登場したのは残る4人のメンバー。
ジャニーズ事務所の社長はついに一度も出てこなかった。

いうまでもなく、ノブレス・オブリージュの精神に則っていえば、本来出てくるべきはジャニーズ事務所の社長です。

SMAPの時といい、今回の件といい、世間がなんとなくジャニーズに対して未だ釈然としていないのは、そこなのです。

SMAPの時は、たしかに大騒ぎにはなりましたが、突き詰めていえばこれは所詮とあるアイドルグループのメンバーが脱退するかどうか?というだけの話だった(結果的に解散となりましたが)。

ところが山口さんの事件はまったく様相が異なります。
未成年の少女に対する強制わいせつ事件。刑事事件です。
誰もが知っていた有名人が法を犯し、社会を震撼させた。
そのせいで番組が打ち切りになったり、その余波でチャンスを掴みかけていた多くのタレント志望の子たちの夢を奪った。
もちろん、被害者となった少女の心の傷は察するに余りある。

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彼を日常的に管理・監督する立場にあった芸能事務所の責任者が表に出てきて然るべき案件です。

出てこない、というのは、事務所として責任を認めていない、ということと一緒だ。

もちろんこの事件で一番責任があるのは山口さん本人であることは間違いありません。
しかしながら、どうもSMAP以来、ジャニーズさんは、何かあるとタレント本人を矢面に立たせるだけで、責任者は陰に隠れて出てこない事務所、という印象を完全に世間に植え付けてしまった。

別に「責任者を出せ!」と居丈高に言うつもりはありませんが、人気商売であるタレント業であればこそ、ノブレス・オブリージュという「不文律」をキチンと世間に示す必要があったのではないか、と思うのです。

日大監督の態度といい、地位のあるものが潔く責任を認めずにいる姿、というのは、どうにもグロテスクに見える。


■今こそ卑怯の連鎖を断ち切らなければ

世界中どこへいっても、卑怯な人間は蔑まれます。
蔑まれる人間は、決して人の上には立てない。
仮に強大な力で無理やり上に立っていたとしても、人々から敬意を払われることはない。

だから日本では侍は最も名誉を重んじたし、ヨーロッパの諸侯・騎士たちも同様だった。
背後から刺す行為は「卑劣」とされ、軽蔑された。
正々堂々と正面から切り結んで斃れたなら、それは名誉の死とされた。

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かつて「山一證券」という大手証券会社が倒産しました。
その時、社長が記者会見の場で「社員は悪くありませんから!」と号泣していた姿を思い出します。

経営者としては、敗北だったかもしれません。
でも僕は、当時のあの記者会見を今でも思い出すことができます。
彼のその時の表情や、声まで忘れません。
それほど彼の姿は「上に立つ者の責任」に強烈に包まれていた。

だから、僕は彼の泣き顔を不様だと思ったことは決してないし、今でもこうやって思い出すことができる。

同じように、リスペクトすべき人物として僕が忘れられない人がいます。

1984年のロス五輪で、柔道の山下泰裕選手が金メダルを賭けて決勝戦を戦った時、対戦相手のエジプトのモハメド・ラシュワン選手は、山下選手が直前の試合で負傷した右足を決して攻めなかった。結果的にラシュワン選手は山下選手に敗れ、金メダルを逃しましたが、その名誉を重んじる戦いぶりは世界中で絶賛され、まだ少年だった僕も、彼の振る舞いに心から尊敬の念を抱きました。
世界一を競う最上級の選手が見せたこのスポーツマンシップは、柔道という競技と、それに取り組む世界中の選手たちの誇りと尊厳をこのうえなく高めたのです。

子は親の背中を見て育つ、と言いますが…
世間一般の風潮が、名誉を重んじ、上に立つ人間がノブレス・オブリージュという不文律を当然と捉える社会となれば、人々の振る舞いは次第に公正となり、正義が貫かれることでしょう。

陰湿なネットバッシングや、顔を隠した匿名の誹謗中傷もなくなっていくことでしょう。

近頃話題の「漫画村」問題に代表される、他人の褌で相撲を取るような、卑劣な商売も下火になっていくでしょう。

特殊詐欺や、人を平気で裏切ったり騙したりするような人々も減っていくでしょう。

影響力のある、大手芸能事務所の社長や、名門チームの監督に限らず、この社会の指導層やインフルエンサーの皆さん。
ぜひこの機会に、自らの地位(社会的影響力)に相応しい振る舞いを。

その姿のひとつひとつが「社会規範」として、世の中をより良いものにしていくと思います。

そうなれば、第二の日大選手が出てきそうになっても、今度はその不名誉な行為を思いとどまることが出来るかもしれません。